須賀神社(東京・四谷)の例大祭で龍踊りが奉納された
【メルマガIDN編集後記 第340号 160615】

 NPO自立化支援ネットワークの一員として、四谷を拠点に十数年活動しているが、この地の鎮守様である須賀神社にお参りしたことがなかった。今年の須賀神社の例大祭で《龍踊り》が奉納されることを知り、2016年6月4日の夕方にお参りをし、龍踊り(じゃおどり)を見た。
 龍踊りは、長崎の氏神様である諏訪神社の秋の大祭として370年以上の伝統を誇っている《長崎くんち》で最も長崎っ子を魅了し、心を離さない出し物の一つ。須賀神社の例大祭で龍踊りを奉納したのは、長崎諏訪神社の《長崎くんち》で奉納される龍踊りを、東京で楽しむグループ《東龍倶楽部》のみなさんである。


龍踊りが始まる前に拝殿の中に安置される


龍踊り(じゃおどり)は龍が玉を追いかける「玉追い」が基本


龍の長さは12m


龍はモッテコーイの連呼で迎えられ、玉を追い求めて乱舞する


龍の頭


奉納の後、境内でしばしの休息  龍に触りご利益をもらう


龍踊りを奉納したのは東龍倶楽部のみなさん


須賀神社
 須賀神社は江戸初期より四谷に鎮座する四谷十八か町の鎮守様である。主祭神は、須賀大神(須佐之男命 すさのおのみこと)と稲荷大神(宇迦能御魂神 うかのみたまのみこと)である。
 須賀神社は、文武・政治・土地の守護開発・航海など、人々に資源を授ける大地の恵みの神様、お祓いの神様として、特に地鎮祭(地祭)、方災除け、厄除け、疫病除け、家屋敷のご守護に霊験あらたかとされている。

 今の須賀神社は、もとは稲荷神社であり、今の赤坂、一ツ木村の鎮守様であり、清水谷にあったものを、寛永11年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し移した。
 寛永20年、神田明神社内に祀ってあった日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を四谷に合祀し、御両社として祀ることになった。

 以来、俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれてきたが、明治元年に《須賀神社》と改称された。明治5年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃された。

 文政11年12月に竣工した社殿は権現造りの建物だったが、昭和20年5月の東京大空襲のおり、本殿並びに内陣と境内摂社を残し一切の建物を失った。戦後、氏子崇拝者の赤誠に依って 今日の復興を見るようになった。

長崎くんち
 長崎くんちは、長崎市の諏訪神社の祭礼である。長崎の氏神様である諏訪神社の秋の大祭として370年以上の伝統を誇っている。10月7日から9日までの3日間催され、国の重要無形民俗文化財に指定されている。諏訪神社への敬意を表し《おくんち》という人もいる。
 長崎くんちでは、独特でダイナミックな演し物(奉納踊)を特色としているが、龍踊りは長崎くんちで最も長崎っ子を魅了し、心を離さない出し物の一つである。

龍踊り(じゃおどり)
 龍踊りは、中国の雨乞いの儀式から由来したと言われている。長崎に居留していた中国の人々が長崎の民衆に伝え、日本人独特の繊細な味わいが加えられて完成した。
 龍が探し、追う金の玉は太陽や月を表し、龍が玉を飲むことによって、空は暗転し、雨雲を呼び、地上には恵みの雨をもたらし、五穀豊穣、豊かな実りが叶うとされている。
 日照りに苦しむ、農民の祈りから始まった龍踊りは、その後、お祝いや.祭りの時に行われるようになった。

<龍踊の内容>
 龍踊では、龍はモッテコーイの連呼で迎えられ、玉を追い求めて乱舞する。龍踊の演技には次のような種類がある。
 ①玉追い:体を上下左右に振り、くねらせながら玉を追いかけ、胴くぐりを行う
 ②ずぐら(玉探し):とぐろを巻き、胴体の陰に隠れた玉を頭が上下左右を探す。玉を見つけたら、胴くぐりを行い、玉追いに戻る
 ③以上の基本動作の他:ねむり、竜巻、波、など

<龍踊りでの役割>
 ・玉使い:龍が追いかける玉を持つ。玉使いと龍衆は重労働であるため、交代用員が用意され、総交代を行いながら演技が披露される。
 ・龍衆:頭の担当者を龍頭衆(じゃがしらしゅう)、胴体の担当者を二番衆~九番衆、尾の担当者を龍尾衆と呼ぶ

<龍囃子と楽器>
 龍踊りの楽器は6種類で構成され、これらの楽器を使って、道行き(スロー)・打ち込み(アップ)・乱打を龍の動きにあわせて演奏する。
 ・長喇叭(ながらっぱ):龍の鳴き声
 ・大太鼓:雷の音
 ・皺鼓・半鼓(かっこ・はんこ 通称パラ):雨の音
 ・大銅鑼(おおどら):風の音
 ・大中小の蓮葉鉦(ばっつお):風の音を強調する役目
 ・小鐘・小鉦(こがね・こしょう 通称キャン):中国情緒を表す音
 上記の龍囃子の掛け声は、チャーパとかける。この語源は中国語の招宝(チャウバウ)が変化したもので、龍で宝を招こうとの願いが込められている。

龍踊りを奉納したのは東龍倶楽部のみなさん
 須加神社の例大祭で龍踊りを奉納したのは東龍倶楽部のみなさん。長崎諏訪神社の祭《長崎くんち》で奉納される龍踊り(じゃおどり)を、東京で楽しむグループである。
 長崎くんちで龍踊り(じゃおどり)を見て育った関東在住の長崎出身者たちが、2003年、ある記念イベントで龍踊りを経験したことがきっかけで、龍を動かしたその感動が忘れられず、2004年に《東龍倶楽部》を発足した。当初の部員は、長崎県立長崎東高等学校同窓生だけだったが、現在は、龍踊りが好きな他県出身の部員も活動している。現在は、40名ほどの方が参加しているという。

 練習は、原則として第2週と第4週の土曜日または日曜日の月2回行う。練習日は、四谷の長崎産業支援センターに集合し、保管してある龍と楽器をトラックに積み込んで練習会場(新宿区・コズミックスポーツセンター)に移動する。自宅でのビデオ学習のほか、練習会場にて演舞のビデオチェックも行っている。長崎の伝統芸能に恥じない演舞ができるよう努めているとのこと。

エピローグ
 龍踊り似たものに、浅草の浅草寺の《金龍の舞》がある。今回須賀神社に奉納された龍踊りの龍は長さが12mとのことで、金龍(全長18m、総重量88Kg、総金箔の鱗の数が8888枚)よりひと回り小さい。
 また龍踊りでは、龍が太陽や月を表す玉を飲むことによって、空は暗転し、雨雲を呼び、地上には恵みの雨、とされているが、金龍の舞では、観音様を象徴した蓮華珠を、金龍が守護する舞、とされている。


龍踊りの詳細はこちらでご覧ください

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