《驚きの明治工藝》に展示された龍
【メルマガIDN編集後記 第348号 161015】

 東京藝術大学大学美術館で2016年9月7日から10月30日に開催されている《驚きの明治工藝》を見に行った。本展は、明治時代の工芸品を中心に、その基となった江戸時代後期から、明治時代の影響が及んだ昭和初期までの100件以上もの名品が紹介されている。
自称龍楽者は、第一章《写実の追求~まるで本物のように~》で展示されている《自在龍置物》に惹かれて足を運んだが、漆工、金工、七宝、ビロード友禅や、象牙彫刻を併用した芝山細工など、華麗・繊細な感覚の作品が展示されている第二章《技巧を凝らす》の中でも龍に出会うことが出来た。


自在龍 宗義 長さ:300cm 明治~昭和時代
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自在龍釣舟花生 宗義 長さ:55.7cm 明治~昭和時代


龍の自在置物  明珍清春 長さ:36cm 江戸時代


古獣文壺 山田宗美
鉄 打出 高さ:37cm
明治時代

波龍花生 平田重光
高さ:24.5cm

明治~大正時代


雲龍図香炉 明珍宗義
鉄 打出 高さ:9cm 江戸時代
 

龍文壺 並河靖之 有線七宝
高さ:9、3cm 明治時代


台子飾皆具 林谷五郎 水差の高さ:19.5cm 江戸時代
写真の左より飾火箸・杓立・建水・水指・蓋置】


自在龍置物 明珍宗察
 長さ:135cm 江戸時代

明治工藝
 日本では、彫刻をはじめとする立体的な造形は仏像が中心だった。江戸時代になると、工芸の世界では、動物や植物の姿を写実的にとらえ、それを再現する作品が見られるようになり、日本の工芸は技術的に大きな発展を遂げた。その代表的な例に、鍛金による自在置物があげられる。 また江戸時代には、平面上に金や銀の蒔絵によって文様を表現する漆工においても、写生画のように植物を描いた作品が現れる。

 明治時代になると、将軍家や大名の後ろ盾を失った工人たちは、明治政府の殖産振興、外国への輸出政策によって、新たな制作の方向を見いだすようになる。木彫、象牙彫刻、陶磁などの分野でも写実の追求が行われるようになり、対象とするモチーフを「まるで本物のように」写し取る技巧へと進んでいった。江戸時代に培われた技術は、表現力をよりいっそう高め、外国における博覧会で絶賛されるようになった。

《驚きの明治工藝》展に展示された宋 培安コレクション
 宋 培安コレクションは現在台湾における最も大規模な日本工芸のコレクションで、収蔵数は3000点にも及ぶ。宋培安コレクションには、明治工藝の基となった江戸時代末期の技巧を凝らした作品から、明治時代を中心に昭和初期頃までの、漆工、金工、陶磁、七宝、染織、ビロード友禅とすべてのジャンルを網羅している。

 この「明治工藝」の一大コレクションが台湾にあることはあまり知られていなかった。すべてひとりのコレクターが収集した《宋培安コレクション》の名品が日本で初めて紹介されていることが《驚きの明治工藝》展の特徴と言える。今回多数展示してある自在置物は国内に残っている作品が少なく、これほどの数と種類が揃うのは初めてとのことである。

自在置物
 自在置物(じざいおきもの)は、日本の金属工芸の一分野として位置づく。鉄や銅、銀、赤銅(金と銅の合金)、四分一(銀と銅の合金)などの金属板を素材として、龍、蛇、鳥、伊勢海老、海老、蟹、蝶、蜻蛉などの動物の模型を写実的に作るだけでなく、その動物が本来的に持っている胴や手足などを動かせる機能までをも再現した置物である。それらの体節・関節の部分を本物通りに動かすことをも追求し、そのための複雑な仕組みを内部に施すところに大きな特徴である。

 自在置物は、江戸時代に甲冑を作る職人によって最初に作られ、大名などの富裕層を中心に存在が広く知られる様になる。明治時代には京都の高瀬好山やその工房の冨木宗好、田中宗義、また大阪の板尾新次郎などが主に輸出を目的として制作するようになり、多くの自在置物が、海外へ向けて輸出され、芸術品として非常に高い評価を得た。

<自在置物の動く仕組み:会場の展示の説明板より>
 蛇や龍などは鱗を刻んだ一単位の円筒を、ひと回りずつ大きさを変えていくつも作り、それを連結して鋲留めにしていきます。昆虫の足は、関節を蝶番のように作り、鋲留めしています。

<自在龍 宗義>
 宗義は、本名を田中唯吉と言い、京都で自在置物を制作した高瀬好山工房の職人で、龍・蛇・鯱・伊勢海老・X虫など、自在置物の作者として最も多くの作品を残している。宗義は、明治から昭和初期の自在置物の名工といえる。昭和25年没。

<龍の自在置物 明珍清春>
 戦国期に発達した鎧甲冑師達が江戸期初期)に、彼等の仕事が無くなった事から鎧甲冑製作の代わりに、自在置物を作り始めたのが最初と言われている。《明珍》とは平安時代より連綿と続く日本で一番有名な鎧甲冑制作集団の流派で、江戸時代の自在置物作家はその多くが明珍派の甲冑師で、その名は江戸末期まで、代々受け継がれた。

<古獣文壺 山田宗美>
 山田宗光の子として加賀に生まれた山田宗美は粘土が柔らかいうちには自由に成形できるように、鉄も熱したと時は同じだとして、炭素の含有量が少ない柔らかい鉄に熱を加えた瞬間、内側から金槌で打ち出し、それを再び外からも打って細く絞るという独自のアイディアを思いついた。

<雲龍図香炉 明珍宗義>3
 作品リストには、制作年代:江戸時代、材料・技法:鉄 打出と記されている。材料・技法についは前出の古獣文壺と同じであるが実際のところは不明である(会場にも説明がない)。熱した鉄を打つ技法であるとすれば、山田宗美が明治時代に独自のアイディアという記載と時期が矛盾する。

<台子飾皆具 林谷五郎>
 台子(だいす)は茶道の点前に用いる茶道具で、水指など他の茶道具を置くための棚物の一種。真台子・竹台子をはじめとして様々な種類がある。皆具とは立礼や長板総飾り、台子などに使用する《飾火箸・杓立・建水・水指・蓋置(写真の左より)》が同一意匠で揃えた茶道具のこと。飾火箸は炭を掴むためではなく、杓立に挿して使う。七宝で龍・獅子・鳳凰・鯉が描かれている。

エピローグ
 写真に示す《自在龍置物》は、東京国立博物館蔵の正徳3年(1713年)の銘がある明珍宗察(みょうちん むねあき)の自在龍。全長は約135cm、自在置物としては大型の部類に入る作品。
 《自在龍置物》は現存作ではもっとも古く、出来栄えも優れている。鉄の鍛造でパーツを作り、表面に黒漆を焼き付け、鋲(びょう)で留めて組んでいる。胴から尻尾にかけては、径のことなる円筒を重ねていくやり方で、ヘビの構造と同様、かなりフレキシブルな動きをさせることが可能。
 この自在龍置物は2011年1月に常設展として展示されていたのを撮影したものである。展示の説明に、この数年海外の展覧会へ出張していた龍が東京へ戻ってきた、と書かれていた。
 《自在龍置物》は2012年(辰年)の正月に開催された、《東京国立博物館140周年特集陳列「天翔ける龍」》でも、日本が誇る伝統工芸品自在置物の傑作として展示された。この時には、里見重義作《自在置物 龍 銀製 明治9年(
1907年)製作》も展示されていた。

 《驚きの明治工藝》展では、10の龍に出会った。これらを私のホームページ《龍の謂れとかたち》で紹介しています。興味のある方はご覧ください。【生部 圭助】

ホームページ《龍の謂れとかたち》
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