龍は仏法を守護する存在として禅宗寺院の法堂などの襖絵にしばしば描かれている。襖絵については、見に行く機会があっても、見せて(拝観させて)もらえない、見せてもらえても写真の撮影を許可されないことが多く、自分で撮った写真を紹介したいがままならない。ホームページ《龍の謂れとかたち》にアップしているものより、そのいくつかを紹介する。
建仁寺は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山で、京都五山のうち第三位の格式を持つ京都最初の禅寺である。建仁2年(1202)鎌倉幕府第2代将軍源 頼家が寺域を寄進し、宋国百丈山を模して栄西禅師を開山として建立された。山号を東山(とうざん)と称す。 <海北友松筆の《雲龍図》> 海北友松筆の《雲龍図(1599年)》は、方丈の玄関に最も近い下間(礼の間)にたてられた襖に描かれた。黒雲の中から姿を現した阿吽二匹の龍が向き合って動と静で対峙し視線をぶつけあう姿が描かれている。襖のサイズは、縦2M近く、横は4面で5~8Mずつの迫力ある大画面である。 海北友松(かいほうゆうしょう 1533~1615)は、琵琶湖の東岸で、浅井氏の家臣、武家の子として生まれ、50~60代から画家として本格的活動に入った。建仁寺大方丈の《雲龍図》は、慶長4年の67歳のときの作ともいわれる。 朝鮮でも有名だった友松は、中国南宋の画僧・牧谿(もっけい)のスタイルをもとに雲龍図襖を描いている。方丈には、ほかにも《竹林七賢図》、《琴棋書画図》、《山水図》、《花鳥図》などの重要文化財を見ることが出来る。 建仁寺方丈で見る《建仁寺方丈障壁画》は《綴(つづり)プロジェクト》で作成された高精細複製品である。《綴プロジェクト》とは、京都文化協会とキヤノンが立ち上げたもので、正式名称は《文化財未来継承プロジェクト》という。キヤノンは本プロジェクトを社会貢献活動と位置付けて、最新のデジタル技術と京都の伝統工芸の技を融合させ、オリジナルの文化財に限りなく近い高精細複製品を制作することを通して、多くの人に貴重な文化財の価値を身近に感じてもらおうとするものである。 大徳寺 龍源院 襖絵《竜と波》の図 大徳寺の龍源院(りょうげんいん)は、臨済宗大徳寺派の寺院。同派大本山大徳寺の塔頭で、南派の本庵とされている。龍源院の名は、大徳寺の山号である龍宝山の《龍》と中国・臨済宗松源派の祖・松源崇岳(しょうげんすうがく)の禅を正しく継承する松源一脈の《源》の2文字を採ったものである。 <室中の襖絵《竜と波》の図> 室中(しっちゅう)は方丈の中心の間で住持(和尚)が、禅の教えを説き、あるいは問法し、時には儀式法要を行うところ。室中の襖絵《竜と波》の図は江戸初期の南画だが、筆者は不詳とのこと。 蕭白の襖絵《雲龍図》 蘇我蕭白は、享保15年(1730)に京都の商家に生まれ、丹波屋という大きな京染めを扱っていた商家に育つ(1781年没)。蕭白は若くして両親を亡くし、17歳で天涯孤独となった。その後どういう経緯で絵師になったかは、今も謎に包まれている。 室町時代の画家曾我蛇足に私淑して曽我蛇足十世孫と称するようになった時期は20代後半のころと推定されている。30歳の頃には伊勢の地で多くの作品を残しており、33歳からは播磨各地をさすらい、34歳の時に今回紹介する《雲龍図》を描いた。 蕭白の襖絵《雲龍図》は、国外で随一の日本美術コレクションを誇るボストン美術館から約90点が里帰りしたもののひとつで、《ボストン美術館 日本美術の至宝 2012年3月20日-6月10日 東京国立博物館》で展示された。 《雲龍図》は、1911年にボストン美術館へ納められた際には「4枚のまくりの状態=襖からはがしたものを丸めた状態」であり、その状態で保存されていた。100年ぶりに、本来の形態である8枚の襖に表具し、汚れや作品を損なう過去の修復を取り除いたもので、縦は165cm、横の全長は10.8mにも及ぶ水墨画。 龍は巨大であるがユーモラスな表情、太く力強い線描で描かれる龍の爪、波をかき分けるように跳ねている尾、飛び跳ねる激しい波、墨特有の滲みと濃淡で生み出した雲など、実物を間近で見ることが出来た。 妙心寺 退蔵院方丈襖絵プロジェクト 《龍と鳳凰》 現在、退蔵院には安土桃山時代の絵師狩野了慶によって描かれた襖絵が現存しているが、普段は取り外して保管されている。寺社では、重要な文化財の代わりに複製したものや何も描かれていない無地の襖を入れていることが多い。 退蔵院が、文化財の保存と若手芸術家の育成を目的に、無名の若手絵師が妙心寺の退蔵院のお抱え絵師となり、無地の襖に若手芸術家の手で新たに方丈(本堂)の襖絵64面を水墨画で描かせるという、新しいプロジェクトを発足させた。 絵師の選考に当たっては、「若く才能がある」、「京都にゆかりのある」、「やりきる度胸がある」、「宗教や文化を尊重できる」という厳しい条件が課せられた。8名の応募者より2011年3月に京都造形芸術大学院を卒業した村林由貴さんが選ばれた。 方丈(本堂)の襖絵64面に取り掛かる前に、村林さんが寝泊りしている6畳の部屋の襖に描くことの許しを得て、うっすらと茶色に変色している襖に描くことからはじめ、習作として描ける最後の襖4面に《龍と鳳凰》を描いた。舞い降りてきた龍と、天空を舞う鳳凰とが円を成して、ひとつの宇宙を描く、そのようなイメージで描いた。 エピローグ 建仁寺方丈にある海北友松筆の《雲龍図》は、《綴(つづり)プロジェクト》で作成された高精細複製品である。特別展『栄西と建仁寺』展(2014年3月25日-5月18日)が東京国立博物館で開催されたときに《雲龍図》のオリジナルを見た。建仁寺方丈の現地で《雲龍図》の高精細複製品を見、東博の展示で現物を見るという不思議な体験をした。 退蔵院方丈襖絵プロジェクトにおいて村林由貴さんが描いた 《龍と鳳凰》は、2013年2月4日から2月17日に 東海東京証券(東京・日本橋)で開催された 《京都・妙心寺退蔵院 村林由貴 襖絵展~美の創造とそれを支える職人たち~》で展示された。 退蔵院には宮本武蔵が逗留し、本堂に住まわせてもらったことがある。武蔵の五輪書には、仏教において万物を構成するとされる五つの要素、地・水・日・風・空を冠した五つの巻に、自らが身に付けた兵法・剣術を書き残した。 退蔵院の本堂は襖によって5つの部屋に分けられる。その各部屋を、武蔵の五つのテーマをモチーフに、彼女なりの世界観を襖絵として描き切ってほしいと、このプロジェクトの立案者であり推進者である退蔵院の松山副住職は村林由貴さんへ依頼している。 【生部 圭助】 編集後記集へ |