東京都美術館で開催中の《ゴッホとゴーギャン展(2016年10月8日~12月18日)》を見に行った。19世紀末に活躍した、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)とポール・ゴーギャン(1848-1903)の2人の画家に焦点を当てた、日本初となる展覧会。2人の生い立ちや性格だけではなく、絵画表現も大きく異なる。この2人が1888年、南仏アルルで約2カ月の共同生活を送るが、結果はともかくとして、2人が刺激を与え合った結果を今の我々は楽しむことが出来る。
本展では、2人の画家としての初期から、仲間たちとの出会い、2人の共同生活、その後の2人、タヒチのゴーギャンの活動を追いながら、同時代の画家の作品も含めて、約60点が展示されている。 過去の展覧会を振り返ってみると、ゴッホに比較してゴーギャンを見たのが圧倒的に多い。ゴッホとゴーギャンとの出会いを振り返ってみたい。
ゴッホとの最近の出会いは、2010年にゴッホの宝庫とされる、アムステルダムにある国立ゴッホ美術館へ行った時である。ゴッホ美術館は1973年にオープンし、ゴッホの油彩200点以上、デッサン500点あまり、スケッチブック4冊、ゴッホの書簡800通が美術館の所蔵となっている。 ゴッホは1853年3月に生まれて、本格的に絵を描き始めたのは1881年頃で、ピストルで自殺を図ったのが1890年4月のこと、この間はわずか10年間しかない。 ゴッホ美術館ではこの10年間を、オランダ時代(1881~)、アントワープ・パリ時代(1885~)、アルル時代(1888~)、サン・レミ時代(1889~)、オーヴェール・シュル・オワーズ時代(1890~)に区分して展示してあり、日本語のオーディオガイドを聞きながら見ると、ゴッホが短い間に変わっていった環境と絵の特徴をよく理解することが出来る。 また、ゴッホと同年代の画家たちの作品も展示されており、ゴッホの作品が制作された時代背景も知ることが出来る。 2010年には、ミュンヘンの《ノイエ・ピナコテーク》を訪れた。《ピナコテーク》は絵画の収蔵所、《アルテ》は古い、《ノイエ》は新しいという意味で、ミュンヘンにはこの2つの美術館が、隣同士に向かい合って配置されている。《ノイエ》は、バイエルン国王ルートヴィヒ1世によって1853年に設立された美術館で、ドイツ・ロマン派やナザレ派などのドイツ近代絵画、さらにモネ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャンなど印象派の作品が充実している。 《ノイエ》では、ゴッホの《ひまわり(12本)》を見たが、《The Weaver 1884》が印象深い。ゴッホとゴーギャン展で展示されていた《織機と織工 1884》に類似した、暗い色調で描かれたゴッホの初期の作品である。 2013年に山梨県立美術館で開催された特別展《オランダ・ハーグ派展~バルビゾンへの憧れ、ゴッホの原点~》では、以前にアムステルダムのゴッホ美術館で見た《じゃがいもを食べる人々》のリトグラフを見た。 ゴッホの画家としてのキャリアの初期の頃のこの作品は、オランダのニューネン在住時に描かれた。ゴッホの《暗黒の時代》とか《薄闇の時代》などと称されることがあるが、《じゃがいもを食べる人々》は、その時代を代表する作品とも言われる。 2010年に国立ゴッホ美術館でも見た、《収穫》は、今回のゴッホとゴーギャン展でも展示されており、本展の目玉の一つとなっている。 ゴーギャン ゴーギャンは株式仲買人として成功を収めるが、35歳の時(1883年)に,経済不況をきっかけに株式仲買会社をやめて画家になる決心。以来、ルーアン、コペンハーゲン、ポン・タヴェン、パナマ(運河の建設の人夫として)、ポン・タヴェン、南仏のアルル(黄色い家でゴッホとの共同生活を送る)、ポン・タヴェンと住まいを変えながら画家となり、独自の様式を創造する。 ゴーギャンは、新天地を求めて1891年4月にタヒチに向けて出発、新鮮な目でタヒチの風景や生活、タヒチ女性を描いた。2年間の第1次のタヒチ滞在を終えて1893年8月にマルセイユにもどる。 帰国してパリで個展を開くが、パリ画壇の手痛い無視と冷笑を受ける。ゴーギャンは、タヒチの作品を理解してもらうために、タヒチ滞在記『ノアノア(かぐわしき香り)』を書く。 1895年7月に再び、ゴーギャンはタヒチに向かう。そして、健康の不安にかられながら、《生活するひとりの原始人》として多くの傑作を描いた。 1897年彼の最高傑作であり、遺言ともいえる《我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》を描いた。 1901年にゴーギャンは、タヒチを去り、さらに《野蛮》が残るマルキーズ諸島のヒヴァ・オア島へ移る。堕落した文明を憎悪し、原始と野生を求め続けたゴーギャンは、1903年5月8日の朝、急激な心臓麻痺で死ぬ。ゴーギャンが55歳の時。 ゴーギャンについては、1973年にルーブル美術館の別館で、《白い馬》や《ヴァイルマチ》を見てゴーギャンンに魅せられたことに始まる。 以後のゴーギャンとの出会いをたどってみる。 ・1987年 東京国立近代美術館 ゴーギャン展:1880年から1902年までの絵画に彫刻を含めて151点を満喫。《黄色いキリストのある自画像》、今回も展示されている《タヒチの3人》、最晩年(1901年)にゴッホを強く意識して描いた《肘掛け椅子のひまわり》など。この年の展覧会では、オルセー美術館(前年の1986年12月に開館)からのゴーギャンは一点も来ていない。 ・1989年秋 オルセー美術館(パリ):《白い馬》に再会、《アレアレア(愉び)》、《タヒチの女たち》など、初めてのオルセーを体験した。 ・1995年 ボストン美術館:念願の《我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》を見ることが出来て感激 ・XXXX年 大原美術館:《かぐわしき大地》を見に倉敷へ。 ・2009年 東京国立近代美術館:《我々はどこから来たか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》が来日。ノアノア連作版画など、53点を見る。《かぐわしき大地》も展示された。 ・2010年 ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン):印象派のコーナーで《神の子の誕生(テ・タマリ・ノ・アトゥア)》、《四人のブルターニュの女の踊り》、《パラウ・アピ》を見た。 ・2010年 ゴッホ美術館(アムステルダム)で開催のゴーギャン展『The BREAKTHROUGH INTO MODERNITY』:今回も展示されている《ブドウの収穫 人間の悲劇》、《自画像1888》、《パラウ・アピ》などを見た。ゴーギャンとの幸運な出会いだった。 ・2016年 東京都美術館 ゴッホとゴーギャン展:《ブドウの収穫 人間の悲劇》、《タヒチの3人》など、ゴーギャンの初期から晩年のタヒチ2期までの作品を見る。 ・国立西洋美術館 常設:《海辺に立つブルターニュの少女たち》、《ブルターニュの風景》などをいつでも見ることが出来る。 エピローグ ずっと以前に読んだ、小林 秀雄の『ゴッホの手紙』と福永 武彦の『ゴーギャンの世界』は私にとって懐かしい本であり、この2冊より二人の知識を得た。今回、ゴッホとゴーギャン展を見たのを機に、本棚よりこの2冊を取り出してみた.。2冊とも煤けているが、捨てる気にはならず埃をはらって元の位置に戻した。【生部 圭助】 編集後記集へ |