佐伯泰英の『居眠り磐音 江戸双紙』文庫本の全51巻を読み終えた。このシリーズは、2002年(平成14年)4月10日に第1作『陽炎ノ辻』を発表以来、人気シリーズとなり、2016年(平成28年)1月9日の第51作『旅立ちの朝』をもって完結した。2008年(平成20年)1月に出た『居眠り磐音 江戸双紙 読本』を加えて52巻となる。
最初は、このシリーズの読後感を書こうと準備を始めたが、流行時代小説作家だと思っていた佐伯泰英が思いもかけない経歴の持ち主であることを知り、彼へのオマージュを書くことになるかもしれない。
佐伯泰英は、1942年(昭和17年)2月14日、福岡県北九州市生まれ。福岡県の折尾で貸本と娯楽映画で育ち、日本大学芸術学部映画学科時代に初めて豊かな情報や文化を体験。学生の時は東京オリンピックの製作スタッフとして映画作りを経験、大学卒業後は劇映画やCM制作の仕事などフリーターを数年続ける。 その後、スペインを中心にした海外放浪と定住の歳月を過ごす。体験に基づいた『闘牛』を処女出版(1976年 平凡社カラー新書)、 ノンフィクション『闘牛士エル・コルドベス 1969年の叛乱』(1981年)で第1回PLAYBOYドキュメントファイル大賞を受賞。スペイン物を中心とした写真集、スペインや闘牛をテーマとするノンフィクションや小説など三十数冊の本を出版。 私が興味を持ったのは、ここに紹介されている、《スペイン》と《闘牛》にかかわるところであり、時代小説の人気作家というより、佐伯泰英の本質を知る思いがする。2007年8月に出た第23作『万両の雪』のあとがきでその詳細を知ることが出来る。 70年代の初めにスペインに滞在したときに知り合い、90年代のスペイン闘牛界を代表する最高の闘牛士のひとりのなったホセ・オルテガ・カノの「危険な夏」と呼ばれる闘牛の旅に加わった。1986年夏のこと。旅をとおして、華やかに見える闘牛と闘牛士について、興味を引く実態を記している。 スペインの闘牛界は群雄割拠、多士済々のスターが犇めき合って、新旧世代の闘牛士たちがきら星のごとく競い合う、その中より頭角を現すことの難しさ、「路上で暮らす人」ともいわれる闘牛士たち、スペイン各地の闘牛の祭りから招聘されて、出場回数をこなすための、闘牛・移動・仮眠・闘牛・移動の過酷な日々、闘牛場では従容と「死の軌道」を見つめる闘牛士、「四年五草」と呼ばれる飼育法で育てられた機敏で狡猾な、一騎当千の危険な牛たちのこと、闘いにおける角との間合いの読み方、など。 時代小説作家への転身 1998年の春(だったかと本人が書いている)に、親しい出版社の編集者に、「もううちでは出版できない」と断られ、「佐伯さんに残されたのは官能小説か時代小説だよな」と呟やかれる。 最初に書いたのが『密命 見山! 寒月霞切り』だった。藤沢周平の『用心棒日月抄』を意識し、ある個所は柴田錬三郎風になり、あちらは五味康祐もどきになり、最後は山本周五郎をまねたところが出てくる継ぎ接ぎ小説でした、と佐伯泰英は振り返っている。 『居眠り磐音 江戸双紙』への作者の思い やっと本題に入ることになる。佐伯泰英は、『居眠り磐音 江戸双紙』を書くにあたって、バブル崩壊後の閉塞感に日本中が苛まれていた時に、文庫書き下ろしの時代小説に手を付け、「一時の慰めの物語を、読者が爽快な読み物を書こう」と誓った。特別エッセイ『わが時代小説論』の中でこのように書いている。また、『読本』のインタビューでも、無意識のうちに、こういう息苦しい世の中だから、ちまちました物語は書きたくなかった、大らかな時の流れを感じさせる大河のような物語を書きたい気持ち、と言っている。 磐音が活躍した時代背景 『居眠り磐音 江戸双紙』の時代背景は、1769年(明和7年)から1795年(寛政7年)まで、10代将軍家治から11代将軍家斉の時代、田沼意次(1772年老中に)から松平定信(1787年老中首座に)の頃、と言ったらわかりやすいであろう。 1772(明和9年)に坂崎磐音等3名若者が、江戸から豊後関前藩に帰参し、お家騒動に巻き込まれる第1作『陽炎ノ辻』より物語が始まる。この時磐音は27歳。(表示されていないので逆算するとこうなるが、作者は磐音の年齢を正確に意識していただろうか) 藩を離れ、江戸へ出て、50歳を迎えるまでの23年間が描かれている。 物語の構成 佐伯泰英は、第32作のあとがきで、「居眠り磐音」がどこへどう流れていこうとするのか、作者の私にも皆目推測もつかない、と書いている。 この物語が完結して、私なりに区分けしてみると、下記になるように思う。これ以上書くと、これから読む方のネタバレになるので、このような表現で止めておく。 【1】豊後関前藩を離れて、江戸での浪人生活 【2】尚武館道場の佐々木家への養子縁組、結婚 【3】田沼意次一派の迫害からの逃避行 【4】江戸にもどり坂崎磐音の尚武館道場の再興 エピローグ 『居眠り磐音 江戸双紙』は2002年から足掛け15年かけて刊行され、シリーズ累計発行部数2000万部を突破するベストセラーとなっている。このシリーズの読者は10年以上のおお付き合いの方が多い。完結を待たずに亡くなった熱心なファンもあったとか。私は、最後の第51作が出た後、数か月の間にすべてを一気に読んだ。 日本の出版界では、雑誌掲載、ハードカバーでの出版、数年間の評価を得て文庫化するのが、出版の王道とされてきた。90年代末、中堅の出版社が苦し紛れにタブーに手を付けたのが文庫書き下ろし、万年初版のリストラ作家の私はそれに乗った、と佐伯泰英は言う。 佐伯泰英は、朝4時ころ起きていきなり書き始め、10時には一日分の執筆は終えてしまう。朝食と散歩を挟んで正味三時間半、それ以上は無理、無理をするとおかしくなると自制している。佐伯泰英は譲り受けた熱海にある岩波別荘を惜櫟荘(せきれきそう)と名付け、馬車馬のように六十代後半から70代にかけての4年間働いて、自分の嗜好に合わせて完全修復し、ここで執筆をつづけている。【生部 圭助】 編集後記集へ |