海外調査とコンサート三昧1998
【メルマガIDN編集後記 第359号 170401】

 前回はバーチャルリアリティ(VR)について、北米地域の研究機関の訪問調査を行ったことを書いた。この北米調査の時も「昼は仕事、夜はコンサート」を実践した。1998年12月2日に西海岸のシアトルに入り、調査のツアーを開始し、サンフランシスコ、トロント、シカゴ、ピッツバーグ、ニューヨーク、ワシントンを訪れた。1998年は米国の景気が最高潮を迎えている時であり、12月初めの米国はクリスマス一色で、いたるところで見た巨大なクリスマスツリーからも国民の心意気の高まりが感じられた。

 
サンフランシスコシンフォニーとリンカンセンターの案内の小冊子


リンカンセンターのツリーと噴水 正面はメトロポリタンオペラハウス


ステファン・グラッペリの追悼演奏会のチラシ


ロックフェラーセンターの深夜の賑わい
サンフランシスコ
 サンフランシスコ(SF)では、マイケル・トムソン・トーマス指揮でサンフランシスコ交響楽団のコンサートを聴くことができた。当日は午後から土砂降りの雨で、タクシーを呼んでも来ず、ホテルで手当てした車でホールまで送ってもらった記憶がある。SFでのコンサートの曲目と演奏は下記の通り。

 ・ベートーベン《悲歌 作品118》
          《盟友の歌「すべてのよき時に」 作品122》
          《静かな海と楽しい航海 作品112》
 ・アダムス《センチュリー・ロール》
 ・ベートーベン《ミサ曲ハ長調 作品86》
 指揮:マイケル・トムソン・トーマス
 ピアノ:エマニュエル・アックス
 合唱:サンフランシスコ シンフォニー合唱団

 マイケル・トムソン・トーマスは、1995年以来、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務め、今が黄金期と言われている。

ニューヨーク 第一夜
 夕方にニューヨークに到着し、9日の夜は、リンカーンセンターのアリス・ターリー・ホールでE.カーターの90歳の記念コンサートが予定されているのを知った。ホテルのコンセルジュでチケットを予約してもらい、3年ぶりにアリス・ターリー・ホールへ行った。演奏された曲目は以下の2曲。

 ・ストラビンスキー《小協奏曲》
 ・エリオット・カーター
       《ハープとピアノと2つのオーケストラの二重協奏曲》
 指揮:ダヴィッド・ロバートソン
 演奏:ニュー ジュリヤード アンサンブル 他

 演奏終了後に、E.カーターが客席で立ち上がり祝福され、とてもうれしそうだった。
 リンカーンセンターの奥にあるアリス・ターリー・ホールから広場に出てくると、広場の中央に飾られているツリーが噴水とも相まって、クリスマスの雰囲気を盛り上げていた。

カーネギーホールへのあこがれ
 カーネギーホールは、クラシック音楽の殿堂としてクラシックの演奏家達にとっても憧れの場所であり、世に認められるための登竜門でもある。過去何度かニューヨークを訪問したが、いずれもクラシックのコンサートは予定されてなくホールを訪れる機会に恵まれなかった。
 1998年にアメリカへの出張でニューヨークに2泊することになった。早速インターネットで調べてみると、クラシックの演奏会の予定はなくがっかりした。大ホールでは《TRIBUTE TO STEPHAN GRAPPELLI》という催しが予定されていた。ステファン・グラッペリについてほとんど知識がなかった。出発前の慌ただしさもあり、事前に詳しい調査もせず、カーネギーホールを体験したい一心で、旅行社にチケットの手配を依頼し、出発した。

ニューヨーク 第二夜
 10日は早朝からワシントンへ出かけ、メリーランド大学を訪問した。午後の休憩時間に見たホワイトハウス前と国会議事堂前のツリーはさすがに立派なものだったが、夜の素晴らしさを想像するほかなく、ニューヨークへ日帰りした。
 米国滞在の第二夜、以前は前を通る事しかなかったカーネギーホールに行った。開場と同時に中に入り、まず自席を確かめ、ロビーへ出て階段を上がりバルコニー席の後ろの通路をビール片手に散策した。有名な演奏家達の写真が展示されており、ホロビッツなどの若き日の姿を見たりして時間を過ごし、開始の時を待った。
 当夜はジャズバイオリニストのステファン・グラッペリが亡くなって一周年の追悼コンサート。8時にCBSのPAURA ZAHNの司会で開始された。グラッペリにゆかりのあるミュージシャンが一堂に集まり、観客との和気あいあいの中で3時間あまりの演奏が繰り広げられ、私も本場のジャズとカーネギーホールを満喫することができた。

 11時過ぎにコンサートが終了し帰途に就いた。NYの街の一人歩きは危険を覚悟しなくてはならないのに、57Stから38Stのホテルまで歩いて帰った。
 途中ロックフェラーセンターに立ち寄った。テレビのニュースで良く見るツリー(1931年から恒例とのこと)の周辺は11時半も過ぎているのに人であふれており、スケートリンクでは大勢がスケートを楽しんでいた。

 翌日11日にJFK空港より帰途についた。北方のマンハッタンのスカイラインにワールドトレードセンター(WTC)の二本のタワーが見えた。これがWTCを見た最後となってしまった。

エピローグ
 1998年12月の米国訪問は、北米地域のバーチャルリアリティ(VR)についての調査が主な目的だったが、念願のカーネギーホール他でのコンサート、アメリカのクリスマスの雰囲気を体感するなど盛りだくさんだった。
 これらのほかに、私はもう一つの目的があった。それは《タワー》を見ること。私が元いた会社は、昭和33年に東京タワーを建設しており、東京に新しく建設が予定されている電波塔に興味を持ち、検討していた。この年の旅程の中にシアトルとトロントが組み込まれていた。シアトルでは、ダウンタウンからモノレールで数分のところのシアトル・センターにある《スペース・ニードル 183M》を、トロントでは、当時世界で最も高いといわれていた《CNタワー 電波塔553.33M》
へ行き、447Mのところにあるスカイポッドにも上った。そして、写真を撮り、入手した資料を持ち帰った。【生部圭助】

《アメリカのクリスマス》はDigiBookにしてこちらに公開しているのでご覧ください。


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