高松塚古墳の壁画の四神の龍
【メルマガIDN編集後記 第367号 170801】

 龍楽者は、龍が登場する「四神信仰」について興味を持って、前々号で四神信仰と陰陽五行思想について、前号では四神相応の都と言われる平安京について記した。
 明日香村檜隈の地には、直線距離にして1.2キロほどしか離れていない距離に、2つの極彩色壁画古墳、高松塚古墳とキトラ古墳がる。7世紀末から8世紀初めにかけて造られたとされる円墳で規模も似ており兄弟墳と見なされている。
 高松塚古墳とキトラ古墳の極彩色壁画に描かれている四神について興味の尽きないところであるが、今回は、龍のかたちと色彩がより明確に見ることのできる高松塚古墳を取り上げる。


高松塚古墳 東壁面(全景)  拡大します
【文化庁 国宝 高松塚古墳(中央公論美術出版 2004)】


高松塚古墳の展開図
【小林泰三 国宝よみがえる色彩(双葉社 2010)】



高松塚古墳 青龍  拡大します
【笹間良彦 図説・龍の歴史大事典(遊子館 2006)】


高松塚古墳 青龍 頭部と前足  3本の爪が見える  拡大します
【文化庁 国宝 高松塚古墳(中央公論美術出版 2004)】


高松塚古墳 白虎の東部
【文化庁 国宝 高松塚古墳(中央公論美術出版 2004)】


高松塚古墳玄武  中心部の図像が破損している
【文化庁 国宝 高松塚古墳(中央公論美術出版 2004)】

高松塚古墳がたどった経緯
 高松塚古墳の発見は、昭和37年(1962)頃のことであるが、10年近く放置されたままだった。昭和45年(1970)になって、明日香村より古墳の調査を依頼された橿原考古学研究所(橿考研)が昭和47年(1972)3月に発掘調査に着手し、石室の東壁・西壁・北壁・天井の4面に描かれた極彩色の壁画が発見した。橿考研は調査結果を報道陣に発表した後、古墳を密閉することを命じた。そして4月には文化庁に保存が委託された。

 昭和48年(1973)3月、文化庁は高松塚古墳を「国の特別史跡」に指定した。昭和49年には、古墳から独立して壁画だけを絵画の「国宝」に指定した。昭和51年3月に、保存施設が竣工し、石室の内部は完全な空調管理下に発掘前の状態に保たれ、飛鳥美人たちは元の世界に戻ったものと、誰もが信じた。

 だが、石室内に大量のカビが発生、その原因究明のため封土をはぎ取ったが、カビ発生の原因は特定できなかった。

 平成19年(2007)4月から5か月かけて石室を解体して、国営飛鳥歴史公園内に設置した国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設に搬送し、壁画の修理が行われている。
 修復後は壁画を古墳内に戻さずに、墳丘の近くに公開施設を整備し、展示・保存する方針が文化庁の検討会で決まっている。
 文化庁は2017年7月に修復作業室を公開(第18回)した。

高松塚古墳の築造年代
 藤原京から南への中軸線の一体に位置する高松塚古墳の築造年代は、出土した海獣葡萄鏡などの副葬品から、西暦700年前後とされ、のちに藤原京期の須恵器が出土したことからも発掘当初の推定を裏付けることになった。壁画も、飛鳥時代に始まる仏教美術が花開いた白鳳から天平時代にあたる重要な作例とされる。

被葬者は特定されていない
 高松塚古墳は江戸時代までは、文武天皇陵とされていた。墓室内から出土遺物や壁画内容から被葬者を特定できる資料はない。中国の墳墓では一般的である墓誌も発見されていない。被葬者については、皇族、皇子説、有力豪族説があるが特定されていない。

高松塚古墳形状・極彩色壁画
 高松塚古墳の石室は凝灰岩の切石を組み立てたもので、南側に墓道があり、南北方向に長い平面の形状をしている。直径23メートルの円墳の石室の寸法は長辺(南北)の長さが約265cm、短辺(東西)の幅が約103cm、高さが約113cm(いずれも内法寸法)であり、平面形状は三畳間に近い。
 壁画は石室の東壁・西壁・北壁・天井の4面に存在しており、切石の上に厚さ数ミリの漆喰を塗った上に描かれている。

東壁:
手前から男子群像、四神のうちの青龍とその上の日(太陽)、女子群像
青龍は南を向いて両足を踏ん張り赤く長い舌を出して大きな口を開けて威嚇する。東部には2本の角が生えている。青龍の尾の部分は浸透した水分によって汚れて見えない。

北壁:
四神のうちの玄武のみが描かれている。中心部の図像が破損している
亀と蛇が絡んだ図。亀は左向き、蛇は亀の下を通り後ろ脚から抜けて亀の上部で円を描いて絡む

西壁:
手前から男子群像、四神のうちの白虎とその上の月、女子群像
白虎は頭を南に向ける。大部分が白色。現在は淡墨線の輪郭線により、全体の輪郭を見ることができる。尾を後足に絡めてその末端を跳ね上げているのが特徴。青龍も同じ

南壁:
四神のうち南方に位置する朱雀は盗掘と土砂の流入により確認ができない

二十八宿:四宮の神獣に七宿ずつを配している
 高松塚古墳の天井には二十八宿の諸星が描かれている。円形の金箔で星を表し、星と星の間を朱の線でつないで星座を表している。中央には北極五星と四鋪四星(しほしせい)からなる紫微垣(しびえん)があり、その周囲に二十八宿を表す。中央の紫微垣は天帝の居所を意味している。
 二十八宿とは、天の黄道(太陽の軌道)に沿って選び出された古代中国の28の星座を言う。各星宿は、東→北→西→南と数えられ、青龍(東方)、玄武(北方)、白虎(西方)、朱雀(南方)の神獣を「四宮」とし、それぞれに七宿ずつを配している。

エピローグ
 キトラ古墳に描かれた十二支像が発見されたのは、平成13年(2001)の第4次石室内部調査の時である。そのとき西壁に描かれた「寅」の像が確認された。その後、調査が進むにつれて次々と十二支像が見つかったが、漆喰層の剥落などで消失したものも多い。
 高松塚古墳とキトラ古墳では共通点も多いが、四神の配置(向き)については異なっている。高松塚古墳では、青龍と白虎が開口部のある南方を向いており(並行型)、キトラ古墳では、白虎が北向きに描かれている(循環型)。

 張忠義石棺(高麗時代・12世紀)の外面の四神の彫刻(東京国立博物館の東洋館)はいつでも見ることができるが、薬師寺の金堂の薬師如来台座 (白鳳時代 国宝)の下框の四神の彫刻は、見たかもしれないが、記憶にない。【生部 圭助】

【参考とした文献:図のキャプションに示したもの以外】
  山本忠尚 高松塚・キトラ古墳の謎(吉川弘文館 2010)
  百橋明穂 古代壁画の世界(吉川弘文館 2010)

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