南極観測船「しらせ(先代)」を見学し、南極に思いを馳せる
【メルマガIDN編集後記 第369号 170901】


 NPO自立化支援ネットワークの「ふれあい充電講演会(第153回)」の行事で、南極観測船 「SHIRASE 5002」&「黒ラベル」のコラボレーションツアーに参加した。三代目の南極観測船「SHIRASE 5002」の船内見学をしながら展示物を見ている時に、ずっと以前に「南極」にかかわったことを思い出した。
 私が勤めていた会社の先輩たちが企画し開発した建物が南極に建設された。南極の過酷な環境の中で25年間使用された「居住棟」を観測隊員の方が解体して南極観測船「ふじ」に積んで日本へ持ち帰った。国立極地研究所に保管されていた部材一式を借り受けて「居住棟」を復元し、建物を構成するパネルの材料の性能実験を行った。


25年間南極の過酷な環境の下で過ごした「居住棟」を復元した(1981年)
【南極資料 第79号別刷りより】



居住棟の断面 天井高2.4M
ふしぎ大陸 南極展 資料より】


復元した建物の土台・床梁・床パネル・壁の構成
【南極資料 第79号別刷りより】


床パネル(長辺2.4M、短辺1.2M、厚さ10CM)
【南極資料 第79号別刷りより】


日本南極観測40周年記念「ふしぎ大陸 南極展」1979年のちらし


「宗谷」の最上甲板の展示室に置かれている「居住棟」の床パネルのサンプル
【「宗谷」の360度パノラマ体験より】


南極観測
 1957年7月から翌年の12月まで、国際地球観測年に当たっていた。この期間に地球全体に亘って大規模な各種の共同観測が行われ、殊に南極と北極はその主要観測地として指定された。
 我が国も、世界9か国と共に地球物理学的な諸現象の観測に参加することになり、第一次(1956年出発)と第二次(1957年出発)に分かれる遠征隊を派遣することになった。

日本が南極に最初に建てた建物
 南極に置かれる建物に対する主な条件は、外気温は最低-60度C、室温を15度Cを確保。最大風速は秒速80M、積雪2M(屋根面)。気候的な条件もさることながら、建設に素人の観測隊員が人力で作る(組み立てる)事が出来る事、宗谷に積んで運ぶ事、という当時としては途方もない条件だった。
 1956年11月に出発した第一次南極観測隊用に改装された宗谷に載せられて南極へ運ばれた建物5棟のうち4棟は木製パネルの組立式家屋だった。 

 「居住棟」はパネル型の組み立て式の平屋建て。建物の大きさは、長辺26M、短辺16M、天井高2.4M、面積41.11平方メートル(12.44坪 ベッド数7)。床パネル14枚、天井パネル14枚、壁パネル22枚。パネルの大きさは長辺2.4M、短辺1.2M、厚さ10CM。
 パネルは、桧の枠材の両側に樺材の合板を張り付け、間に断熱材として西独製の発泡スチロールを挟んだもの。

25年後に「居住棟」が日本に戻ってきた
 1981年に、極地研究所に保管してあるパネルや部品を借用し、竹中技術研究所に持ち込んで建物として復元すること、同時にパネルの一部を切り出して部材の性能実験することを命じられた。
 パネルや部品は1956年(昭和31年)に制作し、南極で居住棟として25年間使用したものを観測隊員の方が解体して南極観測船「ふじ」に積んで日本へ持ち帰ったものである。

<部品の確認と組み立て復元> 
 天気のいい日にすべてのパネルと金物などの部品をあたかもプラモデルのように屋外実験ヤードに並べた。パネルはもちろん、パネルを組み立てるための楔を利用した金物のコネクター(380個)、金属製の梁(30本)もすべてそろっていた。
 2枚の壁パネの一部に破損が見られたがその他は健在だった。床パネルは、湿潤状態で長く埋もれていたためか、床表面の仕上げ部分は相当傷んでいた。

 大型実験棟内で居住棟の復元工事を行った。マニュアル通りに、金属製の床梁―床パネル―壁パネル―金属製の屋根梁―屋根パネルの順に組み立てた。特にパネルの組み立ては、コネクターでパネル間を結合する事で簡単だった。
 2日間で、大型実験棟の中に25年前の姿に復元することが出来た。日本最初の「木質パネルによるプレハブ」といわれているが、先輩達の知見と努力に改めて感じ入った。

<性能試験>
 居住棟を復元した後、解体して材料と部品一式を国立極地研究所にもどしたが、床パネルを1枚、壁パネル2枚をサンプルとして実験用に残した。
 1982年に行ったパネルとしての強度試験、パネル枠の木材の強度試験の結果、劣化が見られないことを確認した。合板の接着剤の劣化はみられなかった。断熱材(スチロポールP)には黴が見られ断熱性能は低下している事を確認した。
 これらの一連の作業の結果については、日本大学の平山善吉先生などと共同執筆で、南極で25年間過酷な環境で使用された居住棟を構成する材料の性能に関する報告書に纏めた。

船の科学館の宗谷の「船室」にパネルのサンプルを展示
 パネルの性能実験をする際、南極で最も過酷な条件のもとにさらされた床パネルから45CM角を2枚切り出して、1枚を竹中技術研究所に保管し、1枚を船の科学館に届け、同館の海に係留されている宗谷の「船室」に展示してもらった。
 その後何年か経った頃、宗谷を訪れて、展示されているパネルを見たが、その後どうなっているか確認しなかった。

映画「南極物語」のために撮影所内に居住棟を復元
 その後1983年1月に、映画「南極物語」(蔵原惟繕監督)のために、国立極地研究所にあった部材一式を持ち出して、調布日活撮影所内での居住棟の組み立てに協力した。
 タローとジローが南極に取り残されて、建物の中に吊るされている折り鶴を居住棟の小窓を通して寂し気に見るシーンが撮影された。

日本南極観測40周年記念「ふしぎ大陸 南極展」
 1997年の4月13日、南極観測船「しらせ(1代)」により、第一次南極観測隊によって昭和基地に建設された建物のうちの1棟が持ち帰られた。この建物は、同年7月19日~11月16に「日本南極観測40周年記念 不思議大陸南極展」が開催された時に、国立科学博物館の前に復元して展示された。
 この時、壁や天井のパネルの性能を竹中技術研究所と日本大学理工学部で調査した。その結果、塗装などは傷んでいたが、壁や屋根材の強度・断熱性などの性能については、建設当初の性能からほとんど劣化していないことがわかった。
 1981年に「ふじ」が持ち帰った南極の過酷な自然環境下で25年間耐えた居住棟と40年間耐えた南極観測用建物のパネルの強度や断熱性を比較した。両者の間にには15年の期間を経ているが、性能にはほとんど変化が見られないことがわかった。この結果は、『建築雑誌 1997年9月号』で報告されている。

エピローグ

 1981年に復元した建物を見学するために、竹中技術研究所にたくさんの人が見えた。そんなある日、越冬隊長の西堀栄三郎さんをはじめ、関係者を竹中技術研究所にご招待して、ささやかなパーティを催し往時を偲んでもらったことも懐かしい。

 現在、ネットで「宗谷」の内部を360度パノラマ体験できるようになっている。最上甲板の展示室には、「居住棟」の組み立て順序の説明パネルと共に、三十数年前に提供した床パネルのサンプルが展示されているのを見て感激した。しかしよく見ると、このサンプルは、上下が反対に置いてある。床パネルには室内側に仕上げが施されているが、展示では仕上げのある面が下になっている。機会があったら、展示の担当の方にお知らせしてみようと思う。【生部 圭助】

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