高句麗古墳 江西(カンソ)大墓の四神図の復元
【メルマガIDN編集後記 第373号 171101】


 東京藝術大学 大学美術館で開催された《シルクロード特別企画展「素心伝心~クローン文化財 失われた刻の再生~」 2017年9月23日-10月26日》を見に行った。知人にこの展覧会のことを教えられて、龍楽者としては、復元された「高句麗古墳 江西(カンソ)大墓の四神図」が興味の対象だった。江西大墓(6世紀末~7世紀初)は高句麗王の墓と推定され、高句麗の古墳壁画の中でも傑作と評価されている。また、その四神の壁画は、奈良県明日香村の高松塚、キトラ両古墳の源流ともいわれる。
 本展を見学の後、江西大墓の四神図については、勉強のための時を必要とし、前号では、「法隆寺金堂の釈迦三尊と壁画の復元」について紹介した。今回は、高句麗古墳群のなかにある江西大墓古墳にある四神図とその復元について紹介する。


江西(カンソ)大墓古墳 入口正面
【会場の展示パネルより】



東面 青龍


青龍の頭部


    

南面 朱雀  開口部の左右の図


西面 白虎


北面 玄武

高句麗古墳群
 「高句麗古墳群」は朝鮮民主主義人民共和国平壌市、平安南道、黄海南道に所在する高句麗後期の古墳群の登録名である。2004年7月にユネスコ世界遺産委員会蘇州会議で、中国東北部に所在する高句麗前期の遺跡とともに世界遺産登録された。「高句麗古墳群」は王や王族、貴族の墓として建造されたものであり、計63基の古墳が指定されている。壁画が描かれているのは16墓あり、年代は4世紀松~7世紀初とされる。

 高句麗は、紀元前37年から紀元668年にわたって朝鮮半島北部に存在した王朝。もともとは現在の中国の領土内に興り、5世紀になって平壌に遷都したため、中国には高句麗前期の、北朝鮮には高句麗後期の遺跡が残されている。

江西(カンソ)大墓古墳
 江西大墓(6世紀末から7世紀初)は、北朝鮮南西部、平安南道江西郡三墓里に位置し、この地域一帯に残された古墳の中で墳丘と石室の規模は最大級の古墳である。墓は3基あり、日帝時代に発掘された。墓の墳丘は円形で、大きさは直径51m、高さ9m、内部構造は長さ3mを超える玄室と羨道(えんどう 玄室に通じる道)からなる単室古墳である。江西大墓は、墓の規模や壁画などから、高句麗王(590年に没した平原王の王陵)の墓とみられている。

江西大墓古墳の四神図
 江西大墓壁画は高句麗古墳群の中でも最晩年のものと考えられており、朝鮮半島の「四神図」壁画の中で最高峰に位置づけられる。壁画の表現は非常にのびやかで、力強い筆遣いで描かれ、華麗な彩色効果が美しい。描かれた「四神図」は、最高の力量を持った絵師たちが担当していたと思われる。

 玄室は、横穴式石室の主要部分で、棺を納める室であり、外部とは羨道で連絡する。玄室の四つの壁と天井は、通常の壁画のように漆喰を塗った上に絵を描くのではなく、磨き上げられた上質の花崗岩の板石に四神図と装飾文様などが直接描かれている。そのため取り外して保管できず、湿気でカビてしまうなど劣化が進んでいるという。

芸大の取り組み:四神が躍動感あふれる姿でよみがえる
 東京藝術大学は、劣化が進行しつつある、或いは永遠に失われてしまった文化財の本来の姿を現代に甦らせ、未来に継承していくための試みとして、文化財をクローンとして復元する特許技術(2010年に取得)を開発した。オリジナルの精細な画像データを取得し、三次元計測や科学分析を行って、空間・形状・素材・質感・色を忠実に再現する。さらに最新の印刷技術や画家と職人の技があわさって、従来にない原寸大での再現が可能になった。
<復元>
 東京芸大の宮廻正明教授らは、2011年6月から複製に着手。これまでに描かれた模写を参考にしながら、故平山郁夫前学長が高句麗会から譲り受けた1980年代に壁画を撮影した(約30年前)写真のポジフィルムをもとに、さらに2006年に実施した調査の際に撮影した写真を用いて、デジタル処理をして鮮明な画像に、それを基に原寸大に拡大カラー印刷した上で、さらに細部を壁画と同じ顔料(朱、鉛城、黄土)で手書き彩色して実質4カ月で仕上げた。
 壁画の印刷用紙は、粉末状にした花こう岩を白色顔料と混ぜて下地としているので、質感だけでなく、触ると花こう岩の手触りを味わえる。

四神に囲まれた原寸大の内部を体験
 壁画本来の形態を復元させる過程とデジタル彩色作業を経て、江西大墓壁画は元の姿を取り戻した。再現された江西大墓内で原寸大の壁画を内部体験できる。
 南面に開口があり、正面が玄武、左(東面)に青龍、右(西面)に白虎を見る。内部に入って振り返る南面には、開口部の両側に朱雀を見る。

青龍図:体をくねらせ舞い上がる竜の姿が描かれている。スピードが感じられる対角線の構図と青龍の力強さを見せ付ける筆遣いは、青龍壁画の中でも最高傑作といわれるに値するもの。

朱雀図:今まさに飛び立とうと大きく広げられた翼と、とぐろを巻いた尾は、すぐにでも青空に羽ばたきだしそうなリアリティーに溢れている。

白虎図:今にも吠え出しそうな写実感溢れる白虎の表情は、野獣としての白虎の姿を生き生きと描き出している。

玄武図:亀と蛇が絡み合うことで独特な形を作り出している玄武図は、明確な立体表現で描かれており、その姿はまるで生きているかのよう。

エピローグ
 江西(カンソ)大墓古墳の壁画の四神図の復元は2012年には完成していたようで、同年3月16日から、山梨県北杜市の平山郁夫シルクロード美術館で一般公開されている。
 高句麗の古墳は亡くなった人を埋葬する場所としてではなく、壁画を描き魂が住む場所としてしつらえられた。高句麗の江西大墓古墳が造られたのは6世紀末~7世紀初とされ、西暦700年前後に造られた高松塚古墳やキトラ古墳は、江西大墓古墳の影響を受けているとされる。
 江西大墓の東面にはでは青龍が壁面いっぱいに描かれている。高松塚古墳の東面の長さは約265cm、この壁面のほぼ中心に描かれている青龍は50cmほどの大きさであり、男子群像や女子群像も描かれている。高松塚古墳の壁画は、高句麗の影響を受けながらも日本独自の様式を見出そうとしたのであろうか。

 光州博物館が2005年に開催した「高句麗古墳壁画模写図」展の図録より引用した四神図と天井の「黄龍図」RYOTAさんのブログで見ることができる。
【生部 圭助】

ホームページ:高句麗古墳 江西大墓の四神
ホームページ:高松塚古墳の四神図

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