《ニューベルンゲンの歌》に登場するドラゴン
【メルマガIDN編集後記 第374号 171115】


 自称龍楽者がヨーロッパの竜(ドラゴン)に興味を持ったのは、ベルリンの地下鉄の駅で若者がドラゴンを剣で刺しているレリーフが飾られているのを見た時にはじまる。当初、「ドラゴンを退治するシーン」に興味を持っていたが、ヨーロッパのドラゴンを実際に見、調べていくうちに《ニーベルンゲン伝説》の一つである叙事詩《ニーベルンゲンの歌》を知り、相良守峯(訳)の岩波文庫の前編と後編を読んだ。


ベルリンの地下鉄「リヒャルト・ワーグナー広場」駅


若者がドラゴンに剣を刺している絵


ドラゴンを倒すシグルス コンラート・ディーリッツの作品の模写
【ジョナサン・エヴァンス著 浜名那奈訳 ドラゴン神話図鑑より】



相良守峯(訳)《ニューベルンゲンの歌》
岩波文庫 1980年 第26刷



ニューベルンゲンの歌  第3歌章 詩節100 挿絵
あの勇士はある時竜をも退治しました
【岩波文庫 相良守峰訳】

《ニーベルンゲンの歌》にたどり着いた
 2006年にコンサートツアーでヨーロッパへ行った時、ベルリンの地下鉄の「リヒャルト・ワーグナー広場」駅で線路の向こうの壁に、ワーグナーにゆかりがあると思われるたくさんのレリーフが飾られているのを見た。その中のひとつに、若者がドラゴンに剣を刺している絵を見つけた。この絵の若者はワーグナーが作曲した《ニーベルングの指環》に登場する《ジークフリート》ではないかと推測した。
 《ニーベルングの指輪》の第二日《ジークフリート》の第二幕二場にジークフリートがドラゴンを退治するシーンがある。この時点で少し調べてみると、ワーグナーは《ニーベルンゲン伝説》の中で当初《シグルスの物語》をモチーフとした《ジークフリートの死》として着想したが、次第に構想がふくらみ現在の形となったことが分かった。

 ワーグナーの《指輪》の対訳を読み、『ドラゴン神話図鑑』(浜名那奈訳 柊風社)で、著者のジョナサン・エヴァンスが、《ヴォルスンガ・サガ(ヴォルスンガ家の物語)》による散文の物語を下じきにし、古アイスランド語の詩歌集『古エッダ』も参考に書いた物語を読んだ。
 ジークフリートとドラゴンの物語の元をたどってゆき、北欧神話である《ニーベルンゲン伝説》に対する理解が一歩深まったが、さらに調べてみると、《ヴォルスンガ・サガ》とワーグナーの《ニーベルングの指輪》はよく似ているが、これらとは違いのある有名な《ニーベルンゲンの歌》の存在を知った。

壮大な叙事詩《ニーベルンゲンの歌》を読む
 《ニーベルンゲンの歌》は、名前は不詳の詩人によって書かれた叙事詩であり、完成は1204年の頃と推定されている。使用言語は中高地ドイツ語。
 《ニーベルンゲンの歌》は、いくつかの史実を元に、ドイツから北欧を経て発展していった《ニーベルンゲン伝説》の一つである。代表的な伝説のモチーフは、北欧神話の原典である《詩のエッダ》の中にある。当時の本はすべて「写本」であり、手書きで写していたので、書き間違い、写本する人による付けたしや改ざんは良くあることで、そのため本の内容は写されるたびに少しずつ変化してきた。
 岩波文庫の訳者の相良守峰氏の解説によると、「この叙事詩には異本が多く、発見された写本は断片も入れると37種に及ぶが、写本Bを原点として1816年に出版されたものが最古のもので、最も原本に忠実なものとみなされ、現今はこれが代表的な定本と認められている。」としている。
 なお、この写本にはA・B・C(15~16世紀の新しい写本には小文字のa・b・cという記号がつけられている)の3種があり、どれが最も原典に近いものかについては、さまざまな議論が交わされた。
<物語>
 《ニーベルンゲンの歌》の原典は明確に前編と後編に分かれてはないが、慣例として、前編は第19歌章、後編は20歌章から成り立っている。前編は壮麗で華麗な宮廷での貴人たちの暮らしの中で「若き英雄ジーフリトの活躍と暗殺」、後編は「復讐に燃える英雄の妻クリエムヒルトの復讐劇」を描いた壮絶な戦いの物語である。なお、後編については、437年にブルグント族がフン族に攻められて滅亡したという史実を利用している。

ジーフリト(ジークフリート)の龍退治
 《ニーベルンゲンの歌》においてのジーフリトとドラゴンについては2カ所に書かれている。
 そのひとつは、ジーフリトがグンテ王の妹のクリエムリヒトを妻に迎えることを望んで、ウォルムスへ来たときに、重臣ハゲネがグンテ王にジーフリトの情報を伝える「第3章100詩節」。「あの勇士はあるとき竜をも退治しました。彼はその血を全身に浴びて、そのため肌が不死身の甲羅と化したのです。どんな武器も彼を傷つけ得ないことが度々証明されました。」

 もう一つは、クリエムリヒトが夫のジーフリトの安全を守ってもらうためにハゲネにジーフリトの秘密を告げる「第15歌章899~203詩節」。「私の夫は勇敢でりょう力も秀でています。かつて山の麓で竜を退治した折、あの元気な人は全身に竜の血を浴びたのですが、それからというもの、戦いにおいてどんな剣にも決して傷つけられることはありません。(中略)どこが愛しい夫の急所であるかを打ち明けておきましょう。(中略)龍の傷口から熱い血潮が流れ出し、あっぱれな勇士がそれを体に浴びた際、両方の肩の間に一枚の広い菩提樹の葉が落ちてきました。この場所こそあの人の急所なのです。それが私の心配の種です。」そして、クリエムヒルトは衣装の上に細かい絹糸で目立たない十字の印を縫いつけておいた、とハゲネに告げる。

 ハゲネのたくらみで、森へ狩りに誘われ、たくさんの獲物を得た後(第16章981詩節)、ジーフリトが泉の上にかがんで水を飲んでいると、ハゲネの狙った槍はあの十字架の印を貫く。

 ドランゴンを退治するに至ったいきさつについては、ドラゴンが守っている財宝を得るため(ヴォルスンガ・サガと指輪)であるが、《ニーベルンゲンの歌》には具体的には書かれていない。ドラゴンの殺害方法については、腹から肩まで(ヴォルスンガ・サガ)、心臓を一突き(指輪)、ニーベルンゲンの歌に記述はない。ドラゴンを殺害した結果、返り血を舐めて小鳥のさえずりの意味を理解して奸計を見破る(ヴォルスンガ・サガと指輪)、返り血を浴びて不死身の体になる(ニーベルンゲンの歌)。これらの違いは、前後のストーリーとの整合による必然であろう。(三つの作品の違いを表に示したので興味のある方はご覧いただきたい。)

エピローグ
 今回読んだ、相良守峯(訳)の岩波文庫『ニーベルンゲンの歌』の前編と後編は1955年初版、1980年に第26刷のものである。アマゾンで求めたこの文庫は、ページも茶色に変色しており、文字も今の文庫に比べると格段に小さく、読むのに難儀したが、読み始めたら引き込まれて一気に読み終えた。
 輻輳している登場人物の血縁関係、主従の関係についてはメモを作り混乱しないようにした。また、《ニーベルンゲンの歌》は、地理的にヨーロッパに広く展開されている。ジーフリトの故郷ネーデルラント、前編の中心となるライン河畔のブルグント国、ブリュンヒルトの居城であるアイスランド、後編では、ライン河畔のブルグント国からはるか遠いフン族の国(ハンガリー)への大移動など、文中の呼称と現在の地名を対比させて、大旅行も楽しんだ。

 《ニーベルンゲン伝説》をもっと理解するためには、《ヴォルスンガ・サガ(ヴォルスンガ家の物語)》を読むべきであろうが、『ドラゴン神話図鑑』に紹介されている物語も読んだことに加え、久保田悠羅とF.E.A.Rと著の『ドラゴン(2002年 新紀元社)』に書かれている要約版を読んだことでいいことにしよう。

 今回は、《ニーベルンゲンの歌》のストーリーについては触れなかったが、龍楽者としては、ジーフリトとドラゴンのかかわりについては多少踏み込んでみた。ニューベルンゲン伝説をもとにしたたくさんの作品を比較したものはあるが、ドラゴンにかかわることについて、ここまで整理した事例は見つからなかった。
【生部 圭助】

編集後記集へ