ノーベル賞作家 カズオ・イシグロの第三作『日の名残り』
【メルマガIDN編集後記 第378号 170115】

 2017年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ(石黒一雄)氏は日系イギリス人の小説家。日本を題材にした2つの小説を書いて、王立文学協会賞を受賞するなど好評を博した。しかし、イシグロ氏の小説は特別な日本の話だと関連づけられてしまった。そこで、イシグロ氏は人間性や人間の経験に関する普遍的な真実について綴る作家として認識されたいという欲求に駆られて、設定をイギリスに移し書いたのが3作目の『日の名残り』である。この作品は氏の代表作となり1989年に英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞も受賞し、世界的に知られるきっかけにもなった。
 イシグロ氏が来日し、英文学を学ぶ学生たちを前に特別講義「文学白熱教室」を行った。この教室で作家自身が語る様子がNHKで放映(2015年の再放送)された。イシグロ氏はこの中で小説を書くことに対する考え方をわかりやすく話している。イシグロ氏の話は、彼の小説の「種明かし」ともいえるものであり、この「文学白熱教室」の中で、私が興味深く感じたところを紹介し、イシグロ氏の小説の世界を共有したい。



『日の名残り』 1989


『忘れられた巨人』 2015



『大いなる眠り』1974年の18版 双葉十三郎訳
初版は1959年8月

カズオ・イシグロ(石黒一雄)
 イシグロ氏は1954年11月に長崎市で生まれ、1960年に同氏が5歳の時、父が英国に赴任するため、一家は英南部サリー州ギルフォードに移住、両親ともに日本人だが、英国の典型的な中流家庭に育った。
 イシグロ氏は現地のストートン小学校から、中等教育の名門学校「グラマー・スクール」に進学、卒業後はいったん休みを取り、米国やカナダを旅行した。1974年にケント大学に入学し、1978年に文学と哲学の学士号を取って卒業。小説を書くことに1年ほど専念した後、イースト・アングリア大学に入り、1980年にクリエイティブ・ライティング(創作)の修士号を得た。

カズオ・イシグロ氏の3作目『日の名残り』
 イシグロ氏は(日本にとらわれない)普遍的な真実を書くために、世界的にイメージが確立されているイギリスの「執事」をテーマに選び、1989年に『日の名残り』を書いた。
 イギリスの貴族や大富豪などの上流階級は家事使用人を雇っていた。男性使用人のランクは下から順番に、下男(ホールボーイ)、従僕(フットマン)、執事(バトラー)である。

 執事のスティーブンスは1920年代から1930年代にかけてイギリスの地方にある貴族の館でダーリントン卿の下で働き、1956年の現在は、ダーリントン卿の死後、邸宅を買い取ったアメリカの富豪ファラディ氏が主人となっている。
 ファラディ氏に進められて、スティーブンスはイギリス西岸のクリーヴトンへ車で小旅行に出かける。途中の朝な夕なに昔を回想する物語が、現在とゆるやかに往復しつつ進められる。
 スティーブンスはドライブの途中で品格のある偉大なイギリスの田園風景を訪ね、田舎の人びとに出会う。並行して、第一次世界大戦後、世界の要人たちが訪れて世界史の舞台ともなったダーリントン邸での接客のこと、執事であり年老いた父親のこと、共に働いたハウスキーパー(女中頭)だったミス・ケントンのことなどの記憶をたどる。

 現在はベン婦人になっているミス・ケントン会うことも小旅行の目的である。ミス・ケントンについては、スティーブンスの「記憶」により二人の関係が徐々に明かされてゆき、最後の顛末を迎える。この流れは推理小説で使われるミステリー仕立てになっている。

執事の品格:読者の品格を問う
 「文学白熱教室」では話題にならなかったが、『日の名残り』において執事の「品格」や「偉大な執事とは何か」についてページを割いている。
 スティーブンスが、執事の専門知識として、大行事をどうやって成功に導いたか、召使たちからあと少しの努力を絞り出すために行使した「職業的秘密」、執事が行う様々な「手品」の種明かし(あることをある時間に、ある場所で、ぴたりと発生させるための大がかりで複雑な準備)などについて語るシーンが書かれている。
 執事の品格については、執事の行動のいくつかの事例をあげ、「みずからの職業的あり方を貫き、それに最後の最後まで耐える能力を備えている」ことを理想としている。イシグロ氏は読者に「あなたの品格は?」と問うているように感じる。

時間と記憶の交錯:小説の構成の手法として
 イシグロ氏は処女作『遠い山なみの光』を書いた動機を、5歳まで日本にいた幼い日の記憶をもとに、薄らいでいく記憶を保存したいと思い、「頭で描いた日本」を舞台にフィクションを書いた、と言っている。
 イシグロ氏は、『日の名残り』でも「記憶を通じて語る」ことにし、筋書きに固執して時系列に話を展開することよりも、語り手の内なる考えや関係性を追って書くという手法を駆使している。又、この手法は小説という形だからこそ得られるもので、他の形では得られない、としている。
 執事のスティーブンスの「記憶」については、正確な記憶もあるが、時期があいまいなものもあり、自分の都合の良い内容にゆがめられたものもある。
 イシグロ氏の小説において「記憶」は重要な要素であるが、最近作『忘れられた巨人(2015年)』を読んでから語るべきかもしれない。
 
メタファー:なぜ小説を書くか?の答えのひとつ
 イシグロ氏は「文学白熱教室」で、「なぜ小説を書くか?」について説明をしている。氏は、「自分が小説を書く上で重要なことは、心情を伝える、心情を分かち合うことなのだ」と言っている。
 イシグロ氏は小説の中に隠されたメタファーにより小説家の思いを読者に伝えようとしている。「メタファー」とは、隠喩・暗喩ともいい、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式(直喩)ではないものを指す。

 イシグロ氏は、作家として小説全体を支配するような大きなメタファーに惹かれると言い、「文学白熱教室」では、最新作『忘れられた巨人』を例にその説明をしている。
 『日の名残り』では「執事」のお話に2つのメタファーを込め、面白いケースであり、完璧な2つのメタファーになった、と言っている。その一つは、「感情を表すことの恐れ」であり、職業人に徹して感情を封じ込めた方が傷つかず、安全な時があることをメタファーに込めた。二つ目は「政治権力に対する、私たちの関係のメタファー」。人は自分の仕事を全うして、自分のプライドや尊厳を保っているが、それが上のレベルで活用されているのかどうかは分からないというメタファー。
 イシグロ氏は、読者がそれを比喩だと気付かないレベルのもの好み、『日の名残り』では、物語全体がメタファーとしてうまく働いたと手応えを感じている、と言っている。

エピローグ
 日本経済新聞の文化欄に、村上春樹氏がチャンドラーの全作品を翻訳したことに対する思いや経緯について書いている。その中で、イシグロ氏について「カズオ・イシグロ氏もチャンドラーの小説のファンであり、彼と顔を合わせるとよくチャンドラーの話をする。(中略)イシグロは、様々なタイプの物語スタイルを精緻に換骨奪胎していくことをひとつのテーマとして、小説を書き続けている作家であり、チャンドラーの小説スタイルが彼を惹きつけるのは、当然すぎるほど当然のことなのだ」と書いている。
 本棚の隅の推理小説群の中に埃をかぶったチャンドラーの『大いなる眠り(創元推理文庫 1974年の18版 双葉十三郎 訳)』があったので読んでみようと埃を払った。そして、『忘れられた巨人』も手元に届いた。『忘れられた巨人』では、イシグロ氏が重要視している「記憶」や「メタファー」に着目して、チャンドラーについては、ずっと昔に読んだ時には「ハードボイルド・ミステりー」だったが、小説の文体やスタイルについても気にかけて読むことにする。
【生部 圭助】

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