龍の謂れとかたち
龍の謂れとかたち
柳森神社の境内社 幸神社の龍の彫刻
柳森神社
長禄元年(1457)、太田道灌が江戸城を築城
その際に城の鬼門除けにと、神田川土手に植えた柳が繁茂 これが名前の由来
ここに鎮守として京都伏見稲荷より勧請し祀られた
当時は神田川の対岸にあったが、万治2年の築堤の際に対岸の現在地に奉遷される
柳森神社入り口 (神社の裏は神田川 川の向こうは秋葉原の電気街)
幸神社(さいのかみのやしろ)の龍の彫刻
幸神社は元、芝増上寺大門付近にあり、岸のいなり、幸稲荷等と称されていた
創建は御小松天皇の御代(1382〜)、足利義満の金閣寺と同じ頃とされている
増上寺の寺域拡張のため、岸町の住人は神田に代地を受けて移った
今の富山町の一隅に一祠を建立し、富山町東松下町五百余戸の氏神と祀った
昭和20年、太平洋戦争が一段と激しくなった頃
堂守りの某が暮夜ひそかに柳原宮司を訪ね、袖に巻いた御神璽を示し
戦災からお守りできなくなったので、こちらで預かって欲しいとのこと
一度は断ったが、再三の頼みによりお受けした
その直後の空襲で富山町東松下町一帯は灰燼に帰してしまった
これは単なる偶然だったのでしょうか
正式には昭和22年当社に合祀された
【境内案内板などより】
幸神社 注意してみないと 龍の彫刻に気がつかない |
正面上部龍の彫刻がある |
龍の詳細 |