龍の謂れとかたち
隅田川テラスにある龍のレリーフ
隅田川
江戸時代以前の利根川は、現在の東京湾に流れ込んでおり、隅田川はこの最下流部の呼名だった
この頃、荒川や入間川は、利根川の支流をなしていた
徳川家康は、関東平野の河川水系の大改修事業に着手し
利根川は、現在の千葉県銚子で太平洋に流れこむことになり(利根川東遷)
荒川は独立した水系となって(入間川への荒川の瀬替)、東京湾に流れこむことになった
隅田川は、荒川本流の最下流部の呼名になった

江戸時代の中頃までは、隅田川は「浅草川」と呼ばれていた
荒川下流部は、武蔵の国と下総国との国境にあたり
武蔵側からの呼名が浅草川、下総側からの呼称が隅田川だった
現在の隅田川は、荒川水系本流の下流部に位置する、一支流として扱われている
荒川本流と分かれる北区岩淵の岩淵水門から下流を指している

全長23キロメートルの隅田川には、27の道路橋(首都高速道含む)が架けられている

隅田川テラス
隅田川テラスは、隅田川両岸に沿って整備された親水テラスの総称
治水上の高水敷にあたる部分をテラス化したもの
舗装や緑化が施されることによって平時には憩いの場、散策路など、公園としての役割が与えられている
隅田川の治水は、東京高潮対策事業として、いわゆる「カミソリ堤防」の整備が昭和50年までに完了
堤防によって人と水辺が隔離される結果となった
東京都は、昭和55年から安全性に加えて、人が水辺に近づける親水性にも配慮した緩傾斜堤防事業に着手した
テラスのにぎわい創出と河川環境の回復を図った

・平成18年2月に東京の水辺空間の向上に関する全体構想
・18年度重点事業採択(水の都再生プロジェクト)
・18年度隅田川壁面ギャラリー整備工事着手


隅田川テラス 隅田川クルーズの船上より見る

事業の区間
墨田区両国一丁目~同区横綱二丁目先
(隅田川の両国橋~蔵前橋間約800Mの区間)


隅田川テラスのレリーフ

隅田川テラスにある龍のレリーフ
2011年8月5日に日の出桟橋から浅草まで隅田川ライン約40分のクルーズを行った
両国橋をくぐり、総武線隅田川橋梁をくぐった先の右手のテラスに龍のレリーフを見つけた
龍のレリーフは虎のレリーフと対になっている
いわゆる「龍虎」として配置されている

【以下の写真は2011年8月5日と17日に撮影したもの】


隅田川クルーズの船上より見る 上部はテラスへのアプローチの斜路の手すり


龍のレリーフ(全体の合成写真)  18mmのレンズ(デジタル1眼レフ)で全体をとらえられない

   
龍のレリーフ  レリーフは中央で接続されている


龍のレリーフの龍の頭部


龍のレリーフの龍の爪


龍のレリーフの右下にあるサイン (Ikumi Uehara この方は何者?)


隅田川テラスにある虎のレリーフ
龍のレリーフは虎のレリーフと対になっている
いわゆる「龍虎」として配置されている


虎のレリーフ龍のレリーフの右側にある


隅田川テラスにある虎のレリーフ

隅田川テラスにあるレリーフ《浮両国浮繪喬夕涼花火見物之図》
勝 春朗画 版元 永壽堂(馬喰町二丁目)西村再販》

夏の両国のにぎわいを描いたこの作品は北斎が春朗と名乗っていたころの作品
春朗期浮世絵の佳作として知られる
画面斜めに両岸をとらえ、川面空の広々とした空間を現している
川面では船から花火があげられ、橋上には蟻ほどの大きさで多くの人出が描かれている
橋のたもとに目を転じると、様々な小屋が並び、そぞろ歩く人が細かく描きこまれ
その賑わいが聞こえるようである


勝 春朗画 版元 永壽堂(馬喰町二丁目)西村再販》


隅田川テラスにあるレリーフ《両国川開之図》


隅田川テラスにあるレリーフ 《両国川開之図》 歌川豊國画

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