編集後記集
【メルマガIDN 第158号 081101】

■海を渡った伊万里【その2】 ツヴィンガー宮殿(ドレスデン)
 2006年にコンサートを聴くためにヨーロッパを訪れたとき、ベルリンのシャーロッテンブルク宮殿の《磁器陳列の間》を見に行った。「伊万里》や中国の磁器のコレクションにおいてドイツでは最古で最大であると自負している」と説明資料に書いてあった。
 《伊万里》については、ドレスデンのツヴィンガー宮殿のコレクションも有名であり、2008年にコンサートのツアーに行こうと決心した何番目かの理由が、ツヴィンガー宮殿の《伊万里》を見ることができることにあった。

ツヴィンガー宮殿
 ツヴィンガー宮殿は、ポーランド王でもあった選帝候のアウグスト強王の黄金時代に、建築家ペッペルマンと彫刻家ペルモーザが18年の歳月をかけて1728年に完成、18世紀のザクセン・バロック建築の最高傑作といわれている。
 1945年に第二次世界大戦で壊滅状態になり、1988-1992年にかけて修復された。現在は、この中に《ドレスデン陶磁美術館》があり、強王の膨大なコレクションを展示する博物館になっている。

有田ポーセリングパークの伊万里
 1993年に、有田に《有田ポーセリングパーク》が作られた。このテーマパークの目玉のひとつとして、ツヴィンガー宮殿の王冠門部分の建物が模して再現されている。
 1993年12月に帰省したときに、《陶磁の東西交流展》を見に行った。有田・デルフト・中国の相互影響を主なテーマとした、オランダハーグ美術館収蔵品を中心に68作品が展示されていた。
 パーク内のツヴィンガー宮殿には、伊万里港から積み出されてヨーロッパで珍重された磁器が里帰りして展示されていた。有田・デルフト・中国の三様の陶磁文化の交流を見ることが出来た。また、ツヴィンガー宮殿より里帰りして展示されている、古い時代の大型で美しく彩色された磁器の迫力に驚かされた。
 現在(2008年8月~12月)《フェルメール展~光の天才画家とデルフトの巨匠たち》が開催されているが、フェルメールのゆかりのデルフトに《伊万里》がたくさんもたらされたことをはじめて知った。

ツヴィンガー宮殿(ドレスデン) 王冠の門の正面(中庭側)

ドレスデン陶磁美術館のマイセンの展示
《伊万里》が海を渡る
 2005年に見た松岡美術館の展示室の古伊万里関連年表によると、「1650年から1757年の108年間に1,233,418品が輸出されており、中国船で運ばれたものも含めると727万品にも及ぶ」と書いてあった。

 中国の景徳鎮窯の磁器生産が17世紀の中ごろに中断することになった時、オランダ連合東インド会社(VOC)は、中国の影響を受けながらも独自の美的世界を展開した、有田で作られた磁器を買い付けた。1670年頃には柿右衛門様式が出来上がり、ヨーロッパでも人気を博した。

 以降、オランダの東洋貿易の隆盛によりオランダに集められた東洋磁器は、ヨーロッパ各国の王室や封建領主の居城を飾ることになった。中国や日本の磁器を装飾として部屋全体に用いる《陶磁装飾室》などが出現することになり、膨大な量の伊万里がヨーロッパに存在することになった。

ツヴィンガー宮殿の《ドレスデン陶磁美術館》
 《ドレスデン陶磁美術館》は17世紀および18世紀の中国・日本の磁器、18世紀のヨーロッパの磁器(マイセン磁器)を2万個以上所蔵している。その半分が東アジアで作られたもの。収集は、アウグスト強王(フリードリッヒ・アウグスト1世)の手で1710年から1730年にかけておこなわれた。
ドラゴンの壷(龍騎兵の壷)

 17~18世紀のヨーロッパでは、中国や日本の磁器と漆器は《白亜の宝石》と呼ばれ、各国宮廷では極東の美術品に対する収集熱が起こっていた。アウグスト強王は、居城であったドレスデン城に東洋の青い器を飾りつけた《陶磁装飾室(ポルセレイン・キャビネット)》を作り、ドレスデン宮殿の対岸の宮殿を改装した《日本宮殿》に東洋の磁器を飾った。

 アウグスト強王は、プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム1世から多量の磁器(大きな壷・皿・鉢など)を購入した際に、自国の600人の龍騎兵と151個の磁器と交換した、という有名で悪評高い磁器収集ぶりを示す例がある。 《ドレスデン陶磁美術館》には12個の1メートルを越す中国の青花大壺《ドラゴンの壷(龍騎兵の壷)》を所蔵しているが、そのうちの7個が展示されていた。

 アウグスト強王は単に東洋の磁器を収集して飾るだけではなく、ザクセンの地で青い磁器を作ることを望み、エルベ川沿いの急峻な地形で要害として知られたケーニッヒシュタイン城内に研究室をつくった。磁器の製法の秘密の流出を恐れた王は拠点をマイセンのアルブレヒト城に移し、1710年頃に白磁の製造、1717年には染付け磁器の焼成に成功した。

 その後、日本の柿右衛門や中国の絵付けの技法をマイセンに取り入れた磁器が大量に生産されるようになった。《ドレスデン陶磁美術館》にはこのようにして生産されたマイセンの磁器が大量に展示されている。

 《ドレスデン陶磁美術館》の入り口に近いゾーン《The big wall arrangement》に青の染付け、赤絵、金襴手などの《伊万里》が整然と展示されている。3枚の写真で見るように、初期伊万里以降の《伊万里》の特徴を時系列的に理解できるような展示となっている。

青の染付け

柿右衛門様式 

金襴手など多彩な絵付け
 足利市にある栗田美術館は、これまでに行きたいと希望していて実現していない美術館である。同美術館の伊万里・柿右衛門・鍋島をぜひ見たいと思う。

 デルフトは、ロッテルダムとデン・ハーグとの中間に位置する街。17世紀にオランダの東インド会社を通じて中国から輸入された磁器に触発されて、デルフト焼と呼ばれる、白地に青(デルフト・ブルー)の彩色が施された陶磁器生み出された。これは、明の藍の染付けを写したものであり、日本の伊万里や柿右衛門の絵付けも模倣されて、デルフト独特の繊細な絵柄が誕生して今日に至っている。

 2008年11月1日~12月23日に出光美術館で《やきものに親しむVI 陶磁の東西交流―景徳鎮・柿右衛門・古伊万里からデルフト・マイセン―》が開催されている。「17~18世紀を中心に花開いた陶磁の東西交流を、中国・景徳鎮をふくむ東洋の磁器と、それらを熱心に写し、学んだヨーロッパの陶磁器との比較展示でご紹介」と案内されているので、暇を見つけて行ってみたい。

ベルリンのシャーロッテンブルク宮殿の《磁器陳列の間》はこちらをご覧ください

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