辰年から巳年へ
【メルマガIDN編集後記 第259号 130201】

 2013年になり辰年から巳年になった。昨年の暮れに、東京メトロ有楽町線の辰巳駅に《干支をデザインした記念パネル》が設置されているのを知って見に行った。辰巳駅は辰巳の森緑道公園にあり、この公園に辰と巳のオブジェがある。今回は辰と巳をテーマにこれらにについて紹介する。


見立十二支 辰 深川八幡富士

辰巳芸者が麦藁細工の
蛇(巳)を持っている

【江戸東京博物館     
   「歴史の中の龍」より


辰巳駅の干支をデザインした記念パネル


辰のオブジェ


巳のオブジェ

江戸城の辰巳の方角にある深川
 深川は江戸時代中期に江戸に編入されたもので、前期には江戸とは呼ばれなかった。隅田川をはさんで西の住人から見れば、東の住人は《川向こう》の田舎者だった。隅田川は江戸(武蔵)と江戸以外(下総)の土地とを区切る境川でもあった。

 深川の名は慶長年間(1596‐1615)に大坂から移住してこの付近を開発した深川八郎右衛門にちなむといわれる。江戸城の辰巳 (南東)の地にあたるところから辰巳とも称した。
 深川が町らしくなるのは、徳川家光の時代、寛永4年(1627)に江戸の芥捨て場を整備して、富岡八幡宮が創建され、門前町が出来てからである。

今日の辰巳の地名
 辰巳は、江東区南部に位置し、深川地域に属する。1878年に深川区が設置され、1947年に城東区とともに江東区となった。
 辰巳は東京湾埋立7号地に属する辰巳一丁目・辰巳二丁目と、同埋立12号地に属する辰巳三丁目からなる。一・二丁目は昭和43年(1968)4月1日に住居表示が実施され、三丁目は昭和51年(1976)の成立で、平成21年(2009)11月1日に住居表示が実施された。

辰巳芸者
 江戸の辰巳の方角にある深川の芸者を《辰巳芸者》と呼ぶ。徳川綱吉の時代、元禄11年(1698)に永代橋が架かると日本橋に近くなったので、深川に武士や町人相手の茶屋や料理屋が増えた。
 深川芸者は「芸は売っても身体は売らない」との心意気で男の羽織を着て、音吉・蔦吉・豆奴等と男の源氏名を名乗った。この羽織姿が特徴的なことから《羽織芸者》とも呼ばれ、意気と張りを看板にし、辰巳芸者は江戸の「粋」の象徴と称えられた。
 深川の隣に木場が出来て材木問屋が建ち並ぶと、何万両もの金を動かす旦那衆が増え、そんな旦那衆を相手にした辰巳芸者の気質も自然と豪快になった。

辰巳駅の干支をデザインした記念パネル
 辰巳駅は辰巳1丁目1番44号にある東京メトロ有楽町線の駅。昭和63年(1988)6月に有楽町線が新富町~新木場間に延伸されたときに開業した駅。辰巳という駅名は周辺の地名にちなんで名付けられた。
 昨年(辰年)の終わりに、辰巳駅の券売機の横に干支をデザインした記念パネルが設置された。パネルの大きさは縦2m、横4mの大きさ。2012年から2013年の両方の干支、龍(辰)と蛇(巳)の絵が描かれている。
 駅では、是非辰巳駅を訪れて記念写真をお取りください、と勧めていた。パネルの横には特製のスタンプも用意されており、銀座線新型車両1000系が描かれた台紙(名刺サイズ)も用意されていた。
 これを企画した駅員の方は、12年に1回のチャンスを狙って、何年も前から準備をされたそうである。
 パネルは2013年の1月6日まで設置され、その後撤去されると聞いていた。現在は見ることが出来ない。

辰巳の森緑道公園にある辰と巳のオブジェ
 辰巳地区は東京都港湾局が管理する公園が整備されている。辰巳の森海浜公園には遊具、ディスクゴルフやフリーテニスなどのスポーツ施設、芝生の広場などがあり周辺住民の憩いの場となっている。
 桜並木もある辰巳の森緑道公園は、サイクリングやジョギングコースともなっている。
 東京メトロ有楽町線の辰巳駅の出口は辰巳の森緑道公園の中にあり、新木場よりの出口を出たところに辰のオブジェがある。オブジェの形を作っている材料はわからないが、表面は砕石で仕上げられている。高さは2mほど
 曲線を描く辰巳の森歩道橋を渡ると、巳のオブジェが目に入る。円錐に蛇が下から上へ巻付いている形をしており、円錐の頂部に蛇の頭を見る。辰巳の森歩道橋を挟んで、辰と巳が対で設置されたのだろうか。

エピローグ
 深川は江戸の芥捨て場だったと、今回初めて知った。そして永代橋を最初に渡って深川を通った時のことを思い出した。
 入社して大阪での1年間の研修を終えて、東陽町(江東区)にある職場に行くために都電で永代橋を渡った。当時、地下鉄東西線はなかった。永代橋の上から前方を見ると都電の線路は下っており、見える町並みは,昨今の北京ほどではないがスモッグみたいなものでかすんでいた。こんなところに行くのかと思ったのが深川の第一印象である。
 独身寮も東陽町にあり通勤には至便だったが、夏の宵には夢の島の匂いが風に乗ってくる。そんなところで数年を過ごした。でも、深川には祭や木場の角乗り、いい飲み屋もたくさんあったので、下町の良さも満喫することもできた。

 辰巳について調べているときに、昭和15年頃に歌われていたという第三砂町小学校校歌《都の辰巳》という校歌があるのを見つけた。作詞は石山脩平、作曲は佐々木すぐる。「(一番)都の辰巳 射し昇る 朝日の影に照り映えて 海と空とを一筋に・・・・・・・」とあり、三番まで意気軒昂な内容になっている。今は新しい校歌に代わっているそうである。

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