2016年5月に佐賀に行く機会があり、所用を終えたのちに佐賀にある龍と仲間たちを訪ねた。佐賀市内の中心部で龍蔵寺八幡神社(佐賀神社)と松原神社、鍋島町で五龍神社、武雄市で武雄温泉の楼門と武雄神社、鹿島市で祐徳稲荷神社を訪れた。
佐賀から西に向かうと久保田で長崎・佐世保へ向かう線と唐津へ向かう線が分岐する。鍋島は、佐賀と久保田の間にある駅。五龍神社は鍋島から歩いても行けるところにある。 五龍神社は、主祭神として、海童神(龍神)をお祀りし、天照皇大神、仁徳天皇、菅原道真公を併祀している。海童神(龍神) は五穀豊穣・商売繁盛、交通・航海安全、安産・諸災除去の守神、天照皇大神は国民の総氏神として人間生活の総守神、仁徳天皇は人情豊かで御慈悲深く家内安全・安産の守神、菅原道真公は学問の守神とされる。 五龍神社の始まりは欽明天皇26年(564年)のこと。鍋島藩の祖鍋島直茂公や初代藩主勝茂公の支援により、 藩政時代は神事も盛大に行われたという。 本殿の両側の妻面に龍の飾りがあり、向かって左が阿形に、右が吽形に見えるが、意図されているかは定かではない。 五龍神社の境内社のひとつ足手荒神社は、神社略記によると 手足諸病痛除去の守神とある。足手荒神社の祭壇に素朴なかわいらしい龍の置物を見つけた。 龍蔵寺八幡神社(佐賀神社) 龍造寺八幡宮は、佐賀駅から県庁に向かうまっすぐの通りに面した白山一丁目にある佐賀開府の鎮守の神。建久年間(1190-1199)に鶴岡八幡宮から勧請され、慶長9年(1604)に佐賀城内から現在地に遷座した。鎌倉鶴岡八幡宮の分霊を祀っており、主神は応神天皇。 龍造寺八幡宮の境内には石鳥居、石橋、拝殿、本殿が建っており、佐賀市景観賞重要建造物指定を受けている。 境内には人間の子供を抱いた子育て恵比須もあり信仰を集めている 拝殿の正面軒唐破風に向拝三間を設けており、そこに龍の彫刻が飾られている。この龍には羽と尾があるが、爪が見えない、飛龍に見えるが龍の仲間と言ったほうがいいかもしれない。 松原神社 私も幼少のころから、《日峯さん》の名で親しんできたが、今回初めて、松原神社と隣接してある佐嘉神社とのかかわりについて知った。 松原神社は、安永元年(1772)に創建され、藩祖・鍋島直茂(日峯大明神と号した)とその祖先を祀り、明治6年(1873)に松原神社北殿を新たに造営して龍造寺家御三神(龍造寺隆信命、政家命、高房命)を祀るようになった。同年、南殿を造営し、第10代藩主鍋島直正命を奉祀、大正12年(1912)第11代鍋島直大命が合祀。 昭和8年に佐嘉神社を造営、 鍋島直正命を御祭神として奉祀、昭和23年に鍋島直大命を合祀、このことにより松原神社南殿はなくなり、昭和36年4月1日、佐嘉神社と松原神社は運営が一本化された。 松原神社では、拝殿(昭明殿)の向拝に黄金色に輝く彫刻、拝殿(昭明殿)内陣の正面に置かれている四神旗、境内に置かれている白磁の燈籠に龍の姿を認めた。 白磁の燈籠については、佐嘉藩祖の鍋島直茂公が、文禄慶長の役の際 朝鮮に出兵したとき、帰朝に伴い焼物上手頭六、七人を連れてきたことが、今日の有田焼の基礎をなすものとされ、有田皿山中より御神前に奉納されたものである、との意が現地の説明板に記してある。 拝殿(昭明殿)内陣の正面に置かれている四神旗は、左側に玄武と白虎、右側に鳳凰と青龍が置かれており、この順番は、北・西・南・東の順になる。 武雄温泉 武雄市は、佐賀市と佐世保市の中間に位置する市。町の中心には武雄温泉がある。透明で柔らかな湯ざわりが特徴の武雄温泉は、1300年も前に書かれた『肥前風土記』の中に「郡の西の方に温泉の出る巌(いわや)あり、・・・」と記された、歴史ある温泉である。古くは神功皇后も入浴されたと伝えられている。江戸時代には、長崎街道の宿場町として栄え、歴史上名高い宮本武蔵やシーボルト、伊達政宗や伊能忠敬などが入浴した記録も残されている。 武雄神社 武雄神社は、武雄の氏神社として氏子はもとより全国各地から広く信仰を集めており、武運長久、開運、厄除けに霊験あらたかな神様としてもあがめられている。 武雄神社には、武内宿禰を主神に、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・武雄心命を合祀してあり、五柱の神を総じて《武雄大明神》と号している。 境内にある案内板に、「武雄神社 祭神系図」が示されており、神功皇后や武内宿禰などの歴史の復習をすることになった。 武雄神社では、本殿の向拝、手水舎、本殿内陣に置かれていた四神旗に龍の姿を見ることができた。 祐徳稲荷神社 祐徳稲荷神社は、佐賀県鹿島市にある神社であり、伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷の一つに数えられる。衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。 祐徳稲荷神社では、手水舎の天井絵と命婦社(県重要文化財)の彫刻で龍に出会うことができた。 命婦社のご祭神は命婦大神、稲荷大神のお使いである白狐の霊を、お祀りしている社である。 現在の命婦社の社殿は江戸時代(享和4年)から昭和8年までの本殿で、その後この土地に移築されたもの。彫刻が素晴らしく江戸時代の神社建築の特徴を残している。 エピローグ 今回出会った龍について調べているときに、《肥前鳥居》について知ることとなった。佐賀にある肥前鳥居は、石で出来ている、島木・笠木・柱が3本継になっている、笠木の先が舟のへさきのような形をしている、柱の基部の亀腹と柱が一体に造られている、などとされる。私の生家の前にある五番神社の鳥居も小規模なものであるが、肥前鳥居であることが分かった。 松原神社と武雄神社で《四神旗》に出会った。のぼりのような四神をあしらったものの正式名称については、武雄神社の社務所に電話して教えてもらった。《四神旗》を一列に並べるときは、社殿に向かって右から、青龍・朱雀・白虎・玄武の順に正中をあけて並べるそうであり、松原神社ではこの順である。武雄神社では順序が異なっているが、その理由については尋ねなかった。【生部 圭助】 佐賀で出会った龍と仲間たち 編集後記集へ |