謂れとかたち
和時計
江戸東京博物館 歴史の中の龍 2012
E03

江戸時代は、日出-日没を昼六時(とき)、日没-日出を夜六時に分ける不定時法をとっていた
季節によって一時(とき)の長さに変動が生じた
これを解決するため
重りによって時間を調整する和時計が作られた
十二支による表記では、夜中の真中の時間を子の刻とした
【展示の説明より】


和時計 全体


和時計 斜めより見る

和時計 正面


和時計 文字盤

十二支と時刻

和時計について:wikipediaより要約
 和時計は季節によって変化する昼と夜をそれぞれ6等分した不定時法を前提として製作されている。昼の一刻と夜の一刻は、季節によって長さが互い違いに増減することになる。日の出前の白々と夜が明ける「薄明」と、日が暮れて人の顔がよくわからなくなる「誰そ彼」(たそがれ)が基準だった。一般的には、日の出の約30分前と日の入りの約30分後が、昼と夜の境とされた。
 和時計の場合、そうした一刻の季節変化を日々の厳密な変化として表示させるのは困難なので、二十四節気に合わせて15日毎に、季節変化を調整して一刻の長さを調整するようにしていた。
 1600年代中頃に昼用と夜用の二挺(2本)の棒天符を時計に組み込み、明六つと暮六つに自動的に昼用の天符と夜用の天符が切り替わる「二挺天符」型が発明された。1800年代半ばには完成形とも言える「自動割駒式」へと進化した。
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