龍の謂れとかたち
江の島弁財天の絵馬 2012
江の島神社
欽明天皇13年(552年)に欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まり
当時は海運・漁業・交通の守護神として祀られた
御窟(おんいわや)を本宮といい、奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいた
文武天皇4年(700年)に、役小角という修験者がこの御窟に参籠して神感を受け
泰澄、道智、弘法、安然、日蓮などの名僧が行を練り、高い御神徳を仰いだ
それから後、仏教との習合により江島は金亀山与願寺と号する
源頼朝は鳥居を奉納し
北条時政は参籠し、龍の三つの鱗を授けそれを家紋とした
江戸時代には、江島弁財天への信仰が集まり、 江ノ島詣の人々で大変な賑わいを見せた
神仏習合時代にも、江島大神としての神威は曇らず 御神徳は広大に仰がれた
明治初年の神仏分離によって、仏式を全廃して純神道に復し、 改めて《江島神社》と号し、現在に至る
【江の島神社のホームページより】
江島弁財天
御祭神は、天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた神で、三人姉妹の女神様
奥津宮の多紀理比賣命、中津宮の市寸島比賣命、辺津宮の田寸津比賣命
この三女神を江島大神と称す
古くは江島明神と呼ばれていたが、仏教との習合によって、弁財天女とされ
江島弁財天として信仰されるに至る
海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで仰がれている
【江の島神社のホームページより】
絵馬 2012
柳森神社の境内社 江島大明神にある
江ノ島弁財天の龍の絵馬
柳森神社に祀られている末社のひとつ
右の龍の置物の後ろに絵馬が見える
昭和 戊辰(つちのえたつ・ぼしん)と見える
昭和の戊辰は昭和3年と63年であるが、昭和63年(1988)のものと見るのが妥当であろう
右の龍の置物の後ろに絵馬が見える
江ノ島弁財天の龍の絵馬
昭和 戊辰(つちのえたつ)と見える
昭和の戊辰は昭和3年と63年
昭和63年(1988)のものと見るのが妥当?
江ノ島弁財天の龍の絵馬 拡大
江島神社の五つの頭を持つ龍の伝説
鎌倉には昔、五つの頭を持つ龍がいて悪行を重ねていた
そこへ弁財天が天から舞い降り、天女に恋心を抱く五頭龍を諭し、悪行をやめさせた
この五頭龍をまつるのが龍口明神社(鎌倉市腰越)
その後、五頭龍は海を離れ、山に姿を変えた。これが現在の藤沢市龍口山
そして、天女の天下りとともに出現した島が現在の江ノ島
天女は江島神社に奉られている弁財天
江島神社には弁財天堂があり裸弁財天像が奉られている
120306
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