江の島の由緒
社伝によると、欽明天皇13年(552年)に、「欽明天皇の御宇、神宣により詔して 宮を島南の竜穴に建てられ
一歳二度の祭祀この時に始まる」とある
これは、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まりであることが記されている
江の島は、鎌倉時代のころまでは全島が信仰の対象とされて
みだりに島へ渡ることはできないようになっていたが、江戸時代には弁天信仰の地として栄えた
突然海底から浮き上がったといわれる江の島の誕生の不思議さと
五頭竜と天女の伝説が語り伝えられることによって、弁才天への信仰がさらに高められてきた
江の島弁財天仲見世通りの入り口に建つ「青銅の鳥居」
『新編相模国風土記稿』には「島口の鳥居」と記されている
高さは552センチの青銅製
表面の緑錆はならではで風格がある
延亨4年(1747)創建、現在の「青銅の鳥居」は文政4年(1821)に再建された
八百屋善四郎が世話人となり
鋳物師の粉川市正藤原国信が制作したといわれる
現在に至るまで約200年の時を刻む
元は「木製の鳥居」だったとのこと、江の島道の三の鳥居にあたる
当初あった洲鼻通りの二の鳥居と、江の島道入り口の遊行寺橋近くにあった一の鳥居は現存していない
鳥居の全景
鳥居の扁額
扁額には「江嶋大明神」と書かれている
鎌倉時代の蒙古襲来に勝利した(文永の役)記念に神恩感謝として
第91代後宇田天皇より賜った勅額の写し
弁財天のお使いである蛇をかたどったもの

鳥居の上部

扁額:「江嶋大明神」と書かれている

扁額の龍の彫刻(頭部)