穴八幡宮由緒
康平5年(1062)に源義家が氏神八幡宮を勧請したことにはじまる
寛永13年(1636)に幕府の御持弓組頭松平左衛門尉直次がこの地に的場を築き
射芸の守護神として八幡宮の小祠をお祀りした
祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功天皇
社僧良晶が草庵を建てようとして、ほら穴を発見したところ、そこに金銅の阿弥陀如来像がたっていた
当時、阿弥陀如来は八幡神の本地仏とされて、人々の崇敬を集めたことから、穴八幡と呼ばれるようになった
一陽来復御守
一陽来復御守は、冬至から節分までの期間のみ配布される
江戸時代から続いている伝統あるもので、金銀融通の御守として現在でも広く崇敬を集めている
冬至、大晦日、節分のいずれかの日の深夜12時、壁や柱の高い位置にその年の恵方に向けて祀ると
金運が上向き、お金の流れがスムーズになるといわれている
穴八幡宮でこのお守りを授かる際、その時刻が早ければ早いほど良いといわれ、冬至の日は大半な賑わい
「一陽来復」とは、陰が極まれば陽に転じるという易の言葉で、冬至を過ぎれば春が来ることを意味する
壬辰 大宙之龍
「みづのえのたつ おおぞらのたつ」と読む
迎春、暁の空、瑞雲棚引く連峰、天宙に向かって昇る龍の姿は
尊厳にして、神聖、瑞兆そのものでございます
龍は古来より、宇宙を支配する力、天、地、人の気を懐いた宝珠を持ち
水と財宝の守護神、護国神、護法神、と崇敬されて参りました
人々、宇宙の自然環境を守り、神々より五穀豊穣の恵みを戴き
昇り龍にあやかり、災害復興、景気の上昇に努力することでしょう
世界平和、、商売(貿易)繁盛、家内(国)安全を祈願し名づけました
【栞より】
壬辰 大宙之龍(1)
壬辰 大宙之龍(2)
壬辰 大宙之龍(3)
壬辰 大宙之龍(赤)
壬辰 大宙之龍(白)