龍の謂れとかたち
龍の謂れとかたち
深川不動堂の扁額
江戸元禄年間は、江戸町民を中心として不動尊信仰が急速に広まった。
この時期、成田山新勝寺は信徒数も増え、寺格も高い本山へと発展した。
江戸町民が成田山のご本尊不動明王を江戸で参拝したいという機運が高まり、
1703年(元禄16年)4月にの出張開帳が行われた。
将軍綱吉の母である桂昌院が参拝を希望したという説もある。
江戸まで1週間かけて捧持され、2ヶ月間開帳されて、江戸町民に人気を博した。
この開帳の場所が深川永代寺境内であり、深川不動堂の始まり。
明治2年に現在の地に深川不動堂の正式名称が認められ、
14年に本堂が完成したが、大震災と戦災で消失した。ご本尊は災禍を免れた。
昭和26年に当時印旛沼のほとりに建っていた龍腹寺を移築し本堂として復興。
平成3年に大改修を施行した。
【深川不動堂来歴 歴史と沿革 より抜粋】
本堂の扁額に龍を見つけたので紹介する
参道より正面を見る
深川不動堂 正面 2012年8月撮影
本堂の扁額 周りに龍の彫刻が施されている
上部の左 上部の右
下部の龍の彫刻(中央)
下部の左 下部の右
内陣の上部にある龍の彫刻
深川不動堂の十二支本尊根付 2012 普賢菩薩
0601116/070402/070512/120825
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