龍の謂れとかたち
長福寺の本堂の欄間の龍の彫刻
長福寺
長福寺(ちようふくじ)は、千葉県いすみ市(旧夷隅郡大原町)下布施にある天台宗の寺院。山号は硯山
寺伝によれば807年(大同2年)最澄によって創建されたとされ、山号は源頼朝から与えられたものという
長福寺の境内左手にある、別名「筆掛の槙」とも称されるイヌマキの巨樹が有名
千葉県指定天然記念物に指定されている
山門
本堂 の正面
本堂の欄間には、中央に龍、左右に麒麟の彫刻が置かれている
初代伊八の彫刻本堂にある欄間は、初代武志伊八郎(1751-1824)が寛政元年に彫った波の浮彫りである龍の頭部
この欄間は透かし彫りがある
中央:龍 縦74cm横266cm
左右二面:麒麟 左右縦86cm横171cm
いずれも堅牢で、色彩もめいりょうである
欄間という提携の空間にとらわれず、自由自在に装飾彫刻を施していった特徴のある作
初代伊八の作品の変化を示す好例として貴重な作品である
中央裏面に作者銘及び政策年が墨書してある
銘
安房国長狭郡下打墨村住人
初代武志伊八郎信由作
弟子高梨氏伊曽八信房
寛政元 酉□冬
【現地の説明板より】
本堂の欄間の龍の彫刻 左斜めより見る
本堂の欄間の龍の彫刻 右斜めより見る
左の欄間にある麒麟の彫刻(部分)
・ ・ 波の伊八
初代武志伊八郎信由は
宝暦2年(1752)に、安房の国長狭郡下打墨村(現在の千葉県鴨川市西条地区打墨)に生まれ
1824(文政7)年に没した宮彫師
伊八の名前は、初代から五代にわたり、およそ200年後の、昭和29年まで受け継がれた
<師匠>
伊八は上総植野村の嶋村貞亮(市東半平)の弟子として腕を磨いた
嶋村貞亮の師匠が江戸の嶋村流三代目嶋村唐四郎
伊八が嶋村姓を用いていた
<作風>
作品は江戸中央の様式にとらわれることなく、房総南部をホームグランドにして
房総南部でこの地域の人々の求めに応じながら自分自身の裁量で自由に腕を振るった
自由でダイナミック、おおらかさとユーモアがあり、
江戸期の長狭郡の《鴨川人》の気質、美意識をよく反映し
年代とともに変化してゆく様式からは柔軟性が感じられる
外房の荒海を象徴するかのような、《波》の浮き彫りが独得の作風とされ、《波の伊八》と称される
職人仲間では「関東に行ったら波を彫るな、彫ったら笑われる」と語られていたという
<伊八が最も重視した点>
伊八が最も重視した点は、自分の作品をいかに自社の建築空間に結び付けるかという課題だった
伊八の作品には、見る人の視点からの距離や角度に対応した工夫が施されている
彼の作は建築空間に収められて初めて最大限の表現効果を発揮する
彼の彫刻は薄い材を用いていながら、実際以上のボリューム感や立体感を感じさせる
それは、伊八が、見る人の視点による遠近法的な表現を意識的に、巧みに使いこなしているからである・ ・
長福寺
住所:千葉県いすみ市大原町布施757(旧 夷隅郡)
電話:0470-62-1736
130118/210824
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