謂れかたち
飯尾寺の本堂の欄間の龍《波の伊八》

飯尾寺
飯尾寺は顕本法華宗の寺院で山号は威王山という
創建は不詳
鎌倉時代から室町時代にかけてこの地方を領した飯尾氏が建立した仏堂に始まる
南北朝時代の僧で法華宗妙満寺派(現在の顕本法華宗)の祖日什が開山となり
妙満寺派の寺院となったと伝えられている


飯尾寺の山門


山門から長い階段を上がる


階段を上がったところから山門を見る


本堂 正面

伊八の龍の彫刻
本堂欄間に伊八の龍の彫刻がある
欄間透かし彫り
刻名:武志伊八郎伸由
制作年:文化11年(1814)  伊八63歳
町指定文化財

【写真撮影:2014/04/08】


本堂の上部を見る


2体の龍


2体の龍


左の龍の頭部


右の龍の頭部


波の伊八
 
初代武志伊八郎信由は
宝暦2年(1752)に、安房の国長狭郡下打墨村(現在の千葉県鴨川市西条地区打墨)に生まれ
1824(文政7)年に没した宮彫師
伊八の名前は、初代から五代にわたり、およそ200年後の、昭和29年まで受け継がれた
<師匠>
伊八は上総植野村の嶋村貞亮(市東半平)の弟子として腕を磨いた
嶋村貞亮の師匠が江戸の嶋村流三代目嶋村唐四郎
伊八が嶋村姓を用いていた
<作風>
作品は江戸中央の様式にとらわれることなく、房総南部をホームグランドにして
房総南部でこの地域の人々の求めに応じながら自分自身の裁量で自由に腕を振るった
自由でダイナミック、おおらかさとユーモアがあり、
江戸期の長狭郡の《鴨川人》の気質、美意識をよく反映し
年代とともに変化してゆく様式からは柔軟性が感じられる
外房の荒海を象徴するかのような、《波》の浮き彫りが独得の作風とされ、《波の伊八》と称される
職人仲間では「関東に行ったら波を彫るな、彫ったら笑われる」と語られていたという
<伊八が最も重視した点>
伊八が最も重視した点は、自分の作品をいかに自社の建築空間に結び付けるかという課題だった
伊八の作品には、見る人の視点からの距離や角度に対応した工夫が施されている
彼の作は建築空間に収められて初めて最大限の表現効果を発揮する
彼の彫刻は薄い材を用いていながら、実際以上のボリューム感や立体感を感じさせる
それは、伊八が、見る人の視点による遠近法的な表現を意識的に、巧みに使いこなしているからである

飯尾寺
住所:長生郡長柄町山根821
電話:0475-35-3634


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