龍の謂れとかたち
熊野神社(黒岩)拝殿の向拝の龍の彫刻《波の伊八》
熊野神社
熊野神社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を勧請された神社のこと
熊野三山の祭神を勧請した神社が全国に成立
熊野三山の祭神は、主祭神である熊野三所権現だけでなく、十二所権現をも含んでいる
熊野神社は、八幡神社・神明神社・稲荷神社と並んで全国的な分布を示している
三所権現を勧請する場合によるが、その数は三千余に達するという
村社 熊野神社(黒岩)
祭神:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
管理は地元住民が行っている
治承4年(1180年)の昔、伊豆の石橋山の戦いに敗れて安房に逃れてきた、 源頼朝が源氏再興を夢見て
安房各地の有名な社にお詣りした
下三原から黒岩に入った頼朝は、熊野神社にもお詣りしたといわれている
熊野神社 アプローチ
熊野神社 鳥居 |
扁額 |
拝殿に至る
拝殿 正面
向拝の龍の彫刻
熊野神社拝殿の向拝に初代波の伊八の龍の彫刻がある
彫刻の背面には《武志伊八良信由 作》の銘があるが、製作年代は不明である
向拝
向拝の龍の彫刻
向拝の詳細
向拝の龍の頭部
向拝の龍
《彫工 長狭 下打墨住 武志伊八良信由 作》の銘 |
彫刻の背面には《武志伊八良信由 作》の銘がある |
波の伊八
《波の伊八》は武志伊八郎信由という
1751(宝暦元)年に現在の千葉県鴨川市に生まれ、1824(文政7)年に没した宮彫師
房総南部を中心に、神社や寺院の欄間の彫刻などのすぐれた作品を多く残した
特に外房の荒海を象徴するかのような、「波」の浮き彫りが独得の作風とされ、《波の伊八》と称される
職人仲間では「関東に行ったら波を彫るな、彫ったら笑われる」と語られていたという
伊八の作品は
波のみならず、龍の彫りも実に巧み