龍神降雨伝説
元禄のころ佐倉城主をつとめた稲葉氏の家臣の渡辺善右衛門という人物が、
佐倉のいろんなことを書きとめた『古今佐倉真佐子』に、龍のイラスト入りで以下のことを書かれている
「此末辺竜腹寺、竜角寺、竜尾寺といへる寺ある。印西の内也。昔かしそらより蛇三つに切て落ちし所也。
竜腹寺は腹落し所、竜角寺は頭の落し所、竜尾寺は尾の落し所也
此所に寺建右の名付、その寺々は右蛇のこつとも夫々あるよし」
印旛沼の龍神降雨伝説については、その語り口には差がある
釈命上人と小さな龍のお話を要約してみると以下のようである
その昔、印旛地方で日照りが続き村人は大変苦しんでいた。奈良時代の731年、印旛地方は大干ばつに襲われた
そこで聖武天皇の命により龍閣寺の釈命上人が印旛沼に船を漕ぎ出し沼の真ん中に出て、龍神様に雨乞いの祈祷をした
印旛沼には小さな龍が棲んでいて、願いを聞いた沼の小龍は雲を呼び風を起こして天空に棲む龍王の元へ姿を消した
それから大粒の雨が落ちてきて、だんだんが激しくなり7日7晩豪雨が降り続き田畑は水を得て生き返る
ひび割れしていた田や枯れ草同様の畑の作物も生き返ったという
龍王はわがままになった人間を懲らしめるため日照りを続けていた
心優しい小龍は龍王に逆らって村人の願いを叶えるために、殺されるのを覚悟で雨を降らせたことで、龍王の怒りに触れ
三つに裂かれて地上に落とされた。
村人たちは、雷光と雷鳴がとどろき渡るなか、天より落ちてきた龍の
二本の角のついた頭を栄町安食に、腹を本埜に、尾を遠く八日市場(現匝瑳:そうさ市)大寺に落ちていたのを見つけた
村人は、安食の龍閣寺に角をうめて龍角寺とし
本埜村は竜腹寺を建立して、地蔵堂に腹をおさめ
大寺は尻尾を納めて龍尾寺を建立して
龍の冥福を祈りそれぞれの地で供養したという
竜腹寺
竜腹寺の由緒については諸説あるようだ
境内にある石碑《玄林山龍腹寺再建記念碑》に書かれている内容などをもとに紹介する
慈雲山延命院勝光寺と号し、大同2(802)年に開山されたと言われる
寺中に25坊、管下に15箇寺をもつ北総屈指の巨刹になった
源頼朝が当寺に参籠し大般若経を奉納、北條時頼が常念仏堂ヲ建立
千葉氏が如意輪堂を建立、千葉胤直が大日堂、五重塔ヲ再建したという記録もある
しかし、戦禍や失火により《荒廃ニ委シテ星霜八十有余年修補亦容易ナラズ》と衰退の一途をたどったようである
成田山深川不動堂の旧本堂は空襲により焼失し、昭和25年に竜腹寺より移設された
石碑にも
《深川不動堂焼失再建ノ議アリ 当地蔵堂譲渡ヲ懇望サレテ檀信熟議快意寄進ノ事ニ決シ・・・》
とある
印旛沼の龍神降雨伝説では本埜村に竜腹寺を建立して、地蔵堂に腹をおさめたとされる
仁王尊の扁額
仁王尊 奥に、延命地蔵尊が見える
延命地蔵尊の扁額
延命地蔵尊
玄林山龍腹寺再建記念碑
昭和二十五年十二月
大本山成田山新勝寺貫主大僧正 荒木照定題額
4行目に「寺号ヲ大龍山龍福寺と改ム」とある
龍腹寺住所:千葉県印西市竜腹寺626