円覚寺の天井絵 白龍の図
円覚寺
正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)と号する
臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる
本尊は宝冠釈迦如来
弘安5年(
1282)に鎌倉時代後半、北条時宗が中国より開山国師(無学祖元禅師)を招いて創建
時宗は禅を弘めたいという願いと、蒙古襲来による殉死者菩提を弔うために円覚寺建立を発願した
円覚寺の名前の由来は,建立の際、石櫃に入った大乗経典の『円覚経』が出土したことから
山号の瑞鹿山の由来は、開山国師が仏殿開堂落慶の折
法話を聞こうとして白鹿があつまったという奇瑞から瑞鹿山(めでたい鹿のおやま)と つけられたといわれている
円覚寺は創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府の篤い帰依を受け経済的基盤を整えた
鎌倉時代末期には伽藍が整備された
室町から江戸時代、幾たびかの火災に遭い、衰微したこともあった
江戸末期(天明年間)に大用国師(誠拙周樗)が僧堂・山門等の伽藍を復興
修行者に対し峻厳をもって接し、宗風の刷新を図り、今日の円覚寺の基礎が築かれた
明治以降、今北洪川老師・釈宗演老師の師弟のもとに雲衲や居士が参集し、多くの人材を輩出
今日の伽藍は創建以来の七堂伽藍の形式が伝わっている
山門・仏殿・方丈と一直線に並び・(法堂はない)、その両脇の右側に浴室・東司跡、左側に禅堂(選佛場)がある
【円覚寺の栞などより要約】
円覚寺正面入口 奥に総門が見える
山門(三門)
現在の山門は、天明3年(1783)、大用国師誠拙周樗によって再建されたもの
山門は「三門」とも呼ばれ、三解脱門の略
涅槃に至るまでに通過しなければならない三つの関門、空・無相・無願を表す
楼上には観世音菩薩・羅漢が安置されている
二階の軒の「たるき」が扇の骨を開いたように放射状に並べられているのが特色で「扇たるき」と呼ばれている
禅宗様(唐様)建築の特色の一つ
「円覚興聖禅寺」の額は伏見上皇の勅筆と伝えられている
仏殿
もとの仏殿は大正12年(1923)の関東大震災で倒潰
現在の仏殿(大光明宝殿)は昭和39年(1964)に再建された鉄筋コンクリート造の建物
元亀4年(1573年)の仏殿指図(さしず 設計図)に基づいて建てられている
禅宗様の建築様式
堂内には本尊の宝冠釈迦如来坐像や梵天・帝釈天像などを安置する
円覚寺仏殿
天井画 白龍の図
仏殿の天井画は、前田青邨(まえだせいそん)監修、守屋多々志揮毫の《白龍の図》がある
前田と守屋はともに岐阜県出身の日本画家。前田の弟子には平山郁夫もいる
東慶寺墓地の一角にはには、監修を務めた前田青邨の筆塚がある。
円覚寺の龍は三爪
白龍(1)
白龍(2)
白龍(3)
白龍の全図