謂れかたち
神田明神 隋神門の四神(東京)

神田明神
江戸総鎮守神田明神。正式名称は神田神社
神田明神は江戸東京に鎮座して1300年近くの歴史をもつ
天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村創建された
現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺に江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となる
元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営された
明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称
東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められた
大正12年(1923)、関東大震災により社殿が焼失
昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建
東京大空襲により境内も多くの建造物がほとんど烏有に帰す
耐火構造の社殿のみわずかな損傷のみで戦災を耐えぬいた
隨神門が再建され、江戸時代に負けない神社の姿を取り戻した

当社の祭礼《神田祭》は2年に一度執り行われ
日本三大祭り・江戸三大祭りのひとつに数えられる


神田神社 正面  奥に隋神門を見る

隨神門
1970年(昭和50年)に昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建
総檜・入母屋造。二層建て・屋根は銅板瓦棒葺
各所に配した文様は伝統的なテーマをもとにしつつ、オリジナルなデザインを使用
外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)
内側には「因幡の白兎」など、だいこく様の神話をモチーフにした彫刻を飾っている
また二層目に金箔をほどこした「繋馬」の彫刻が飾られているが、この繋馬は平将門公に由来する
その後、1998年(平成10年)の『平成の御造替事業』によって、鮮やかに塗替えられた
外側正面に隨神像を配し、右は豊磐間戸神、左は櫛磐間戸神を安置
この像は熊本城域内の樹齢500年の楠で、加藤清正公お手植えと伝えられているものを使用している一木造
長崎平和祈念像制作者として有名な北村西望(きたむら・せいぼう)氏の監修による
松下幸之助氏奉納
内側には、神馬一対を配している。氏子総代・遠藤達藏氏により奉献


隋神門  正面(南面)

青龍(東面)


東面:青龍


青龍(左)


青龍(左)の全景


青龍(左)の頭部

青龍(左)の爪


青龍(右)

青龍(右)の全景


朱雀(南面)


隋神門(南面) 左

隋神門(南面) 右


朱雀(左)

朱雀(左)の詳細 


朱雀(右)

朱雀(右)の詳細


白虎(西面)


隋神門(西面) 白虎


白虎(西面)の右

白虎(西面) 右の全景


白虎(西面)の左


玄武(北面)


隋神門(北面)  境内より外を見る


隋神門(北面)
 左

隋神門(北面)
 右


玄武(左)


玄武(右)

所在地:東京都千代田区外神田162丁目18−12
200708
龍の謂れとかたちのTOPへ