龍の謂れとかたち


謂れかたち

十四番曳山 七宝丸

曳山
曳山は 《漆の一閑張り(うるしのいっかんばり)》という技法で製作された
1番曳山(いちばんやま)の赤獅子が文政2年(1819)に奉納され
明治9年(1876)の七宝丸までに15台が制作・奉納された
このうち紺屋町の黒獅子が明治中期に消失したため、現存は14台となっている

 14の曳山の名称は順に以下のとおり
赤獅子・青獅子・亀と浦島太郎・九郎判官源義経の兜・鯛・鳳凰丸・飛龍・
金獅子・武田信玄の兜・上杉謙信の兜・酒呑童子と源頼光の兜・珠取獅子・鯱・七宝丸。

 重さは2~5tもあり、各町が莫大な費用をつぎ込み、2~3年がかりで作った
現代の制作費に換算すると1~2億円するとも言われている

 漆の一閑張とは
本体を木組みにし、粘土の原型や木型の上に和紙を数百枚貼り重ね
麻布等を張って漆を塗り重ね、金銀を施して仕上げたもの
豪華な漆の工芸品の14台の曳山は、昭和33年(1958)に佐賀県の重要有形民俗文化財に指定された

十四番曳山 七宝丸
江川町は唐津城下の17カ町の一つで、築城時は武士が移住する組屋敷だった
十四番曳山の七宝丸(しちほうまる)は
明治9年(1876)に細工人・宮崎和助、塗師・須賀仲三郎、大工棟梁・田中市次正信らによってつくられた
江川町が七宝丸を製作した理由は、曳山の製作関係者が大石町在住であったため
大石町の対の船としたため言われている

 途中《蛇宝丸》と呼んでいた《七宝丸》は、七つの宝を積んだ宝船を模して作られた
迫力のある龍頭が特徴的な船形の曳山

七つの宝とは
、宝珠、軍配、打出の小槌、隠れ蓑、宝袋、勾玉、一対の巻物を指す
軍配と打出の小槌等は取り外された状態で町を巡行する
 
曳山のサイズ:総高6.3M、幅2.2M、奥行3.2M、重さ3.0トン

  
十四番曳山 七宝丸

  
十四番曳山 七宝丸 龍の頭部の表情


十四番曳山 七宝丸 龍の頭部の正面

091015
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