龍の謂れとかたち


謂れかたち

浅草寺の金龍の舞 2008

はじまり
浅草寺では、東京大空襲で二天門を除く伽藍が消失した
戦後、諸堂が再建される中で寺舞が地元の有志によって奉納された
昭和33年に本堂再建を記念して「金龍の舞」が作られた

浅草寺の山号(金龍山)ともなるこの舞は
一寸八分の黄金の観音像が隅田川より掬い上げられたおり
突如として龍が天から舞い降りて観音像を守護し奉ったと伝えられる浅草寺縁起に因むもの

「浅草寺縁起」に「寺辺天空から金龍が舞い降りたところ、
一夜にして千株の松林ができた(現世利益ともなる五穀豊穣を暗示するもの)」
という縁起譚から創作された

松林に見立てた松慈童(浅草幼稚園の園児が担う)を先頭に
観音様を象徴する蓮華珠、これを守護する金龍が練り歩く
浅草組合花組によるお囃子も同行して賑わう

舞は、3月18日の浅草寺示現会、10月18日の菊供養に奉演
11月の《江戸時代まつり》でも金龍の姿を見ることが出来る
【浅草寺のチラシやホームページより要約】

2008年10月18日の菊供養の奉演
2008年は浅草寺の境内が《浅草奥山風景》などでいつもの広場が占拠され
五重塔の前の広場で舞が奉納された

本堂落慶50周年、金龍の舞も50周年を迎えた
三代目金龍が四代目金龍に引き継がれた


宝蔵門をくぐり境内にはいる


本堂前で勇壮な舞で観音様にお参りする

浅草寺の縁起と金龍の舞の説明があり、舞が始まる
本堂に向かって静止し、ここで8人の舞手が交代する
浅草寺の縁起と金龍の舞の説明があり、芸者さんのひとりが観音様を称える唄を歌った後
8人の舞手が操作する勇壮な舞が繰り広げられる








金龍の表情
金龍は動きの中にさまざまな表情を示す





龍頭に触って縁起をもらう
金龍は参道や境内での動きの中で高くなったら低くなったりする
また帰りには境内で一時休憩をする
人々はこぞって金龍に触れて縁起をもらう
 
観衆は挙って金龍に触る

金龍の鱗と爪
金龍は、総重量88kg、全長18m、総金箔の鱗の数が8888枚
 
4代目の金龍の鱗と爪の詳細

 
屋台に乗った浅草芸者が日本髪に菊をかざして三味線、横笛を担当

浅草寺の金龍の舞 2007にたくさんの写真を掲載しています

081126/110310
龍の謂れとかたちのTOPへ