龍の謂れとかたち
伊佐爾波神社本殿の木鼻の龍の彫刻(松山市)
伊佐爾波神社
伊佐爾波(いさにわ)神社は神功皇后・仲哀天皇御来湯の際の行宮跡に建てられたといわれる
延喜式に載っている古社で1000年以上前から信仰を集めていたことが窺える
一時期は湯月八幡宮とも、さらに道後八幡とも呼ばれた
伊佐爾波神社も当初は道後公園山麓に鎮座していたと推定される
建武年間(14紀前半)頃、河野氏が湯月城築城に際して今の地に遷す
その後、加藤嘉明が松山城の固めとして八社八幡を定めたとき
一番社として武運長久の祈願所と定め久米郡井合の土地百石を神社の社領として寄進された
現在の御社殿
江戸城で弓の競射を命じられた松山藩主松平定長公が八幡様に必中を祈願、
成就したお礼に八幡造りの社殿を建て替えた
寛文7(1667)年5月15日に竣工し、遷宮式が挙行されたと言われている
御祭神は、神功皇后・仲哀天皇・応神天皇・ 三柱姫大神
【伊佐爾波神社のHPより要約】
伊佐爾波神社 鳥居
石段 子供たちが134段と数えていた
本殿奥の本殿は宇佐・石清水と並び称される「八幡造り」の建物後殿に三間社(桁行9間、梁間2間)切妻造の、前殿に同じく三間社流造の2棟を前後に並ぶ両者の出合った軒先に共通の樋を架け、下に相の間をもつ軒はニ軒ふたのき、屋根は桧皮葺ひわだぶき、棟は箱棟鬼板
木鼻(きばな)龍鼻
木鼻とは木の先端という意味の《木端(きばな)》が転じて《木鼻》に書き換えられたもの
木鼻の取り付けられた場所で一番多いのは、向拝正面の水引虹梁が向拝柱の左右へ頭貫した部分
虹梁が向拝柱を頭貫し前方へ飛び出したところである
《大仏様木鼻》には象鼻・獅子鼻・獏鼻・龍頭などがあり
《禅宗様木鼻》には渦紋・植物紋などがある
室町時代には、彫刻美を誇るようになって、別木に彫刻した木鼻を柱にとり付けるようになり
《掛鼻》と称されるようになる
内外にわたり木部は虹梁・木鼻・斗きょう・蟇股に至るまで丹に塗り・胡粉彩色が施されている
申殿(もうしどの)を通して本殿の正面を見る
木鼻の龍の彫刻 龍鼻
左:本殿 右:申殿(もうしどの)
本殿の正面に木鼻の龍の彫刻を見る
木鼻の龍の彫刻 龍鼻
木鼻の龍鼻
伊佐爾波神社の住所:松山市桜谷町173
150214/210601
龍の謂れとかたちのTOPへ