謂れとかたち
薬師寺の薬師如来像の台座の四神

薬師寺

薬師寺は法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし
南都七大寺の一つ。本尊は薬師三尊。開基は天武天皇

<創建:本薬師寺>
薬師寺は680年(天武天皇9年)に
天武天皇が、後の持統天皇である鵜野讃良皇后の病気平癒を祈願して発願
飛鳥の藤原京の右京八条三坊の地(奈良県橿原市城殿町)に造営が開始された
天武天皇は寺の完成を見ずに686年(朱鳥元年)に没
伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた
697年に薬師如来の開眼
698年(文武天皇2年)には寺の造営がほぼ完成
飛鳥の薬師寺(本薬師寺)の伽藍も10世紀頃までは引き続き存続し、後に廃寺

<平城京への移転>
710年(和銅3年)に元明天皇の命による平城京遷都
平城京への遷都後、薬師寺も飛鳥から平城京の六条大路に面した右京六条二坊(現在地)に
718年(養老2年)に移転を終える

973年(天禄4年)に火災
金堂、東塔、西塔を残し、講堂、僧坊、南大門など多くの建物が焼失した

戦国時代の1528年(享禄元年)9月7日
興福寺の衆徒・筒井順興による兵火で東塔や東院堂を残し全山焼失した
現在、奈良時代の建物は東塔を残すのみである

<伽藍の復興>
1968年より白鳳伽藍の復興を開始し、1976年(昭和51年)に金堂を落慶
西塔・中門・回廊・大講堂・食堂などの主要な堂塔をを復興した

撮影:2023/5/13 小雨模様


南門

中門

金堂
1600年(慶長5)に増田長盛によって再建された入母屋造の以前の金堂は
1975年(昭和50)に興福寺へ仮金堂(現・仮講堂)として移築された
現在の金堂は1976年(昭和51年)再建
再建された金堂の内陣のみは鉄筋コンクリート造
奈良時代仏教彫刻の最高傑作の一つとされる本尊・薬師三尊像(国宝)を祀る
上層は写経が納められた納経蔵


金堂:1976年(昭和51年)に再建された


薬師三尊像
金堂に安置される薬師寺の本尊。国宝
飛鳥時代後期(白鳳期) - 奈良時代(7 - 8世紀)の作
中尊は薬師如来、左脇侍に日光菩薩、右脇侍に月光菩薩を配している

薬師如来像の台座と四神
薬師如来像の台座は宣字形(せんじがた)台座の上に裳を広げた裳懸座
一番上の框かまちにはギリシャ由来の葡萄唐草文様
葡萄唐草文様の下には、ペルシャの蓮華文様
中段には四面に6つの窓があり、インドから伝わった裸形の力神(蕃人)の浮き彫りがのぞく
南北面の中段には堅牢地神が描かれ
柱状の須弥山しゅみせんとその上に座る薬師如来を支えている
下框には四方に中国の霊獣である四神が表現されている
特に翼を大きく広げた朱雀、胴長に描かれた白虎、丸く円をかたどる玄武の姿は
高松塚古墳やキトラ古墳の装飾壁画とも類似しており
白鳳時代の文化を今に伝えている

金堂に安置される実物の台座は、北側(玄武側)しか見ることができない
薬師如来像の台座模型が東僧坊で展示されている


金堂の北側:玄武を見ることが出来る


薬師如来像の台座模型:東僧坊で展示されている


金堂本尊台座模型(南面)


青龍(東面)


東面


東面の構成


青龍


朱雀(南面)


南面


南面の構成


朱雀


白虎(西面)


西面


西面の構成


白虎


玄武(北面)



北面


北面の構成


玄武

薬師寺
住所:奈良市西ノ京457

230603
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