謂れかたち
平等院鳳凰堂の龍頭瓦

平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂は極楽浄土の宮殿をモデルにしている
入母屋造りの中堂と宝形造りの楼閣および切妻造りの翼廊と尾廊よりなる

ときの権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業を
その子頼通が 永承7年(1052)に、これを仏寺に改め、平等院とした
永承7年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ
極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していた
その翌年の天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し
堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され
約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されている

鳳凰堂は東向きに作られており朝日を正面に受ける
高さ(鳳凰を除く):約13.5m  幅(南北)約47m  奥行き(東西)約35m
鳳凰堂は明治35年から40年、昭和25年から32年に大掛かりな修理が行なわれた
【平等院の栞とHPより要約】


平等院鳳凰堂  東面 


平等院鳳凰堂  外観


平等院鳳凰堂  外観



龍頭瓦
平等院鳳凰堂の大屋根には、降棟(くだりむね)の役物瓦として現存最古級かつ最大の龍頭瓦が飾られている
鳳凰堂中堂の降棟には前後一対ずつ合計4つの龍頭瓦がある
降棟の先にある瓦は鬼面が一般的だが、鳳凰堂の場合は龍頭となっている
降棟が体、その先に頭がついていて、全体として巨大な龍となる珍しい形

鎌倉時代末頃に成立した『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』には、宇治を龍宮にたとえて
その中心を流れる宇治川には平等院を創建した関白・藤原頼通が龍神となって棲み
平等院を守護しているという伝説が記されている
また龍は仏教の伝播とともに、仏法を守護する龍王として広く普及し
豊穣のシンボルとしてすでに信仰されていた蛇と混じり合いながら伝説や民話の中に現れるようになった
そのため様々な経典や仏具、お堂などに龍がデザインされてきた

4つの龍頭瓦のうち北側2つが室町時代末頃のもの
この瓦が現在の改修工事で約60年ぶりに降ろされ、初公開された
【平等院の栞とHPより要約】

印の写真は坂井幸男氏の提供 撮影:2014/11/27】


屋根 東面


南東の龍頭瓦(*)


南西の龍頭瓦(*)


屋根 西面(*)


南東の龍頭瓦(*)


南西の龍頭瓦(*)


南西の龍頭瓦の詳細(*)



鳳凰
銅製鋳造鍍金(平安時代・11世紀)
北方像 像高98.8cm 総幅34.5cm
南方像 像高95.0cm 総幅44.5cm

阿弥陀堂中堂の大棟の南北両端に据えられていた鳳凰一対
阿弥陀堂は、その外観が尾の長い鳥が翼を広げたような形をしている
屋根上のこの鳳凰形棟飾りによって
近世以降、鳳凰堂と呼ばれるようになった
東向きに建てられている鳳凰堂の向かって右側に据えられた像を北方像、同じく左側の像を南方像と称する
両像ともいまは大気汚染による錆害などの保存上の見地から取り外されて宝物館に保管され
新たに制作された復元模像が大棟に載せられている


鳳凰堂の棟と鳳凰  東面より見る



鳳凰(東面より見る)

鳳凰(東面より見る)


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