龍の謂れとかたち
法隆寺金堂の二層目の軒を支える龍
法隆寺
法隆寺は聖徳宗の総本山、別名を斑鳩寺(いかるがでら)という
飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築
創建は推古15年(607)
用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを誓願されたが、その実現をみないままに崩御
推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造った
創建の由来
「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘
『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』(747)の縁起文
によって知ることができる
法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられている
広さ約18万7千平方メートル
境内には、飛鳥時代をはじめとする各時代の建築物、宝物類が伝来している
国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2,300余点に及んでいる
法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶ輝かしい伝統を今に誇る
法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」として
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された
法隆寺 中門
金堂
金堂(国宝)は入母屋造の二重仏堂。桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付
上層には部屋はなく、外観のみである
堂内は中の間、東の間、西の間に分かれる
それぞれ釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置する
金堂の壁画は日本の仏教絵画の代表作として国際的に著名なもの
1949年、壁画模写作業中の火災により、初層内陣の壁と柱を焼損した
火災は解体修理中であったため
初層の裳階(もこし)部分と上層のすべて、それに堂内の諸仏は難をまぬがれた
法隆寺 金堂
法隆寺金堂 南面
二重目の軒を支える四周の柱に龍が彫刻されている
法隆寺金堂 東面
二重目の軒を支える四周の柱に龍が彫刻されている
龍の彫刻を刻んだ柱
二重目の軒を支える四方の龍の彫刻を刻んだ柱は構造を補強するため修理の際に付加されたもの
この支柱は江戸時代のもの
(その年代については諸説ある)
昇り龍と降り龍が各2体ずつある
これらの龍は見る角度によって表情が異なる
以下に三方より見た写真を紹介する
南東角の龍が軒を支えている詳細を示す
南東角の龍(降り龍)
南東角の龍の詳細
北東角の龍(昇り龍)
北東角の龍の詳細
北西角の龍(降り龍)
北西角の龍の詳細
南西角の龍(降り龍)
南西角の龍の詳細
法隆寺
所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1
140531
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