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西来院案内
達磨峰西来院は、尚真王時代(1477-1526年)は開山球陽國師菊隠宗意禅師の僧院であった。禅師は、京都五山派の大徳寺において修行十数年の末同寺の古渓禅師の法を嗣ぎ菊陰の法号を受け悟道に徹し、智行兼備の高僧(琉球人)であった。
1611年尚寧王より現在の首里儀保町内に広大な寺域を賜って創建された拝領寺である。禅師は、1609年島図津藩による琉球侵入の時、その國難に関与すべく格別の王命を受けたが、老衰のため受け難いとしたが、再々その大命に遂にこれを拝受し常に国王の側近に侍して東奔西走、薩摩との和平、日琉親善の國交に老骨を捧げ尽くした。その功績により、王国最高位の三司官となり更に琉球唯一の國師号を賜った政僧である。
以来、法燈盛衰の歴史を経て今日に至るが、現在地に移転したのは明治初期頃と遂考する。現代、特に戦後は昔から所詮首里十二箇所(十二支の守本尊時)霊場の結願寺、更に招福開運達磨大師の寺として年中全島からの参詣者が絶えることはない。
そこで宿願の今は無き、国宝円覚寺に思いを致し、小規模ながら木造式の仏殿、仁王門他諸堂を整え、狭い境内の荘厳に心がけ、「心の安らぎ、いやし」の聖地として世人の心願に添うべく仏法興隆に努めている次第である。
【住職よりいただいた「西来院案内」をそのまま掲載した】
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