龍の謂れとかたち
龍口寺 本堂の扁額の周辺の龍の彫刻(藤沢・片瀬)
龍口寺 大本堂 2018
龍口寺 縁起
鎌倉時代の後期、日本中に内乱が続き、外には蒙古が攻め寄せて、武家政治は危機に瀕していた
日蓮上人は、この惨状を救うために『立正安国論』を撰述し幕府に奏上
幕府は政策の中傷と誤解し《悪口の咎》に当たるとして日蓮上人を捕らえ龍の口刑場へ連行
処刑直前、江の島の方から満月のような光が飛んできて斬首役人の目をくらませた
処刑に使われた刀に光がかかり三つに折れたとも伝えられる
日蓮上人の処刑は中止になり、佐渡へ遠島となった
この事件を日蓮宗では龍ノ口法難と呼ぶ
日蓮聖人滅後の延元2年(建武4年、1337年)に
日蓮の弟子、日法がこの地を《龍ノ口法難霊蹟》として敷皮堂という堂を建立
自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まり
津村の国人で日蓮宗の信奉篤い島村采女が慶長6年(1601年)に土地を寄進
以来本格的な寺としての格式を整えた
本堂と県内唯一の本式木造の五重塔は神奈川建築物百選に選定されている
【龍口寺の栞より要約】
扁額
扁額には「感応妙」と書かれている
故人の安らかな成仏を願うには、その心を五輪の塔婆に表し
御本尊様に御題目を唱えて
仏様を通じて故人へと功徳を廻(めぐ)らし向ける(回向)ことが大切
これを「感応妙」と言い、この原理によって故人への供養となる
扁額の左辺は昇り龍、右辺は降り龍、上下辺に各3体の龍が彫られている
【2008年5月と2018年11月に撮影】
龍口寺本堂 の扁額 2008
上部左
上部中央
上部右
下部左
下部中央
下部右
080603/190109/241123
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