謂れとかたち
武雄温泉の楼門の四つの干支

武雄温泉
武雄市は、佐賀市と佐世保市の中間に位置する市で、町の中心には開湯以来1300年経つ武雄温泉がある
透明で柔らかな湯ざわりが特徴
1300年も前に書かれた「肥前風土記」の中に「郡の西の方に温泉の出る巌(いわや)あり、・・・」と記されている
歴史ある温泉で、古くは神功皇后も入浴されたと伝えられている
江戸時代には、長崎街道の宿場町として栄える
宮本武蔵やシーボルト、伊達政宗や伊能忠敬などが入浴した記録も残されている。


楼門
武雄温泉の入口には国重要文化財にも指定されている《武雄温泉楼門》がある
唐津市出身の建築家で日本近代建築の父と呼ばれる辰野金吾が設計
国の重要文化財に指定されている
1914年(大正3)に着工し、翌年に竣工した朱塗りの楼門
3つの楼門が計画さrたが、創建されたのは《東南楼門》のみ
竜宮を連想させる鮮やかな色彩と形で、天平式楼門と呼ばれ、釘一本も使用していない建築物
木造2階建ての門に北翼屋(土産屋)と南翼屋(食堂)を増築した建物で、築後100年以上の時を経た
桁行:6.8m  梁間:4.9m  高さ:12.5m
屋根:入母屋造り・本瓦葺  下層:白色漆喰塗り大壁
2005年に国の重要文化財に指定されたことにより、保存修理工事に行政の補助金を活用できることになった
保存修理工事は、これまで実施してきた塗装の塗り直しなど小手先の改修工事とは異なり
耐震補強工事を含む本格的な内容となった


武雄温泉の楼門


武雄温泉の楼門 側面


武雄温泉の楼門 正面


急な階段を2階へ上る


武雄温泉の楼門 2階


武雄温泉の楼門 2階の天井


武雄温泉の楼門 2階の天井 四隅に4つの干支がある


楼門の干支
1914年に完成した東京駅と翌年に完成した楼門が図らずも同時期に保存修復されることとなった
2012年から行われた改修工事のとき
天井四隅に、約30cm四方の杉板(通気口を兼ねた開口部)に干支が彫ってはめ込まれているのが見つかった
正中線に位置する干支:北側に子、東に卯、南に午、西に酉

東京駅の八角形のドーム天井に、東西南北を除く8つの干支が飾られていることは知られていた
以前から残り4つの干支の存在が謎とされてきた
楼門で発見された4つの干支
ほぼ同時期に辰野金吾が手掛けた東京駅のド-ム天井に飾られた8つの干支と合わせ
十二支になっていることがニュースとなり注目を集めた
東京と故郷の佐賀、辰野金吾にとって二つの拠点の重要文化財で、十二支は完結することになる
2014年2月1日に、東京駅で、楼門の子と午が東京駅の8つと合わせて一緒に展示されたそうである

「何故武雄温泉楼門に?」という問いに対しては明確な答えはない


子(鼠 北)


子が置かれている北の隅


通気口を兼ねた開口部に子が彫ってはめ込まれている

 
子の詳細


卯(兎 東)


卯が置かれている東の隅


通気口を兼ねた開口部)に卯が彫ってはめ込まれている

 
卯の詳細


午(馬 南)


午が置かれている南の隅


通気口を兼ねた開口部に午が彫ってはめ込まれている

 
午の詳細



酉(鳥 西)


酉が置かれている西の隅


通気口を兼ねた開口部に酉が彫ってはめ込まれている

 
酉の詳細



楼門の設計図
楼門の2階に資料が展示されている
建築図によると、3つの楼門(東北楼門 東楼門 東南楼門)が計画されていたことがわかる
実際に建設されたのは東南楼門である


武雄温泉の楼門 2階の展示  図面も展示してある


佐賀県武雄温泉場建築図 三楼門および売店
当初3つの楼門が計画されていた


東南楼門 立面図(現在の楼門)

 
楼門の立面図と創建時の楼門(大正4年に竣工)



楼門の平面図



武雄温泉 楼門
住所:佐賀県武雄市武雄町大字武雄7425

160529
東京駅のドームの八つの干支
龍の謂れとかたちのTOPへ