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光格天皇天明8年(1788)京都御所が火災となり、その火が花山院邸に燃え移った時、白衣の一団が突如現れて、すばやく屋根に登り敢然と消火にあたり、その業火も忽ち鎮火した。 この事に花山院公は大変喜ばれ、厚くお礼を述べられこの白衣の一団に尋ねられた。 「どこの者か?」 答えて言うには、 「肥前の国鹿島の祐徳稲荷神社にご奉仕する者でございます。花山院邸の危難を知り、急ぎ駆けつけお手伝い申し上げただけでございます。」 公はいぶかしんでさらに尋ねられた。 「私の屋敷などどうでもよい。どうして御所に行かないのか?(御所の火を消さないのか。)」 一同が恐縮して答えるには、 「私達は身分が賤しく宮中に上がることは出来ません。」 とそう言い終るや否や、跡形もなく消え去った。 花山院内大臣はこれは不思議なことだ、奇蹟だと内々に光格天皇に言上されると、天皇は命婦の官位を授ける様勅を下され、花山院内大臣自ら御前において【命婦】の二字を書いて下賜されたといわれる。(*1) その後石壁山山中に社殿を造り、命婦大神として御奉祀され、現在に至っている。 *1) この掛物は現在祐徳博物館にて所蔵。 【祐徳稲荷神社のホームページ:境内のご案内より】 |
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