謂れとかたち
祐徳稲荷神社の命婦社 佐賀

祐徳稲荷神社
祐徳稲荷神社は、佐賀県鹿島市にある神社
貞享4年(1687年)肥前鹿島藩主鍋島直朝公の夫人花山院萬子媛が
朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請された稲荷神社

伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷の一つに数えられる
九州の神社では太宰府天満宮に次ぐ参拝客数である
衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄、大漁満足、交通安全などで尊崇されている


祐徳稲荷神社入口


三つの鳥居を見る


正面上部に御本殿を見る


命婦社
 命婦社(みょうぶしゃ)のご祭神は命婦大神
稲荷大神のお使いである白狐の霊を、お祀りしている社
現在の命婦社の社殿は江戸時代(享和4年)から昭和8年までの本殿で、その後この土地に移築されたもの
彫刻が素晴らしく、江戸時代の神社建築の特徴を残している
現在、佐賀県より重要文化財の指定を受けている

格天皇天明8年(1788)京都御所が火災となり、その火が花山院邸に燃え移った時、白衣の一団が突如現れて、すばやく屋根に登り敢然と消火にあたり、その業火も忽ち鎮火した。
この事に花山院公は大変喜ばれ、厚くお礼を述べられこの白衣の一団に尋ねられた。
「どこの者か?」
答えて言うには、
「肥前の国鹿島の祐徳稲荷神社にご奉仕する者でございます。花山院邸の危難を知り、急ぎ駆けつけお手伝い申し上げただけでございます。」
公はいぶかしんでさらに尋ねられた。
「私の屋敷などどうでもよい。どうして御所に行かないのか?(御所の火を消さないのか。)」
一同が恐縮して答えるには、 「私達は身分が賤しく宮中に上がることは出来ません。」
とそう言い終るや否や、跡形もなく消え去った。
花山院内大臣はこれは不思議なことだ、奇蹟だと内々に光格天皇に言上されると、天皇は命婦の官位を授ける様勅を下され、花山院内大臣自ら御前において【命婦】の二字を書いて下賜されたといわれる。(*1)
その後石壁山山中に社殿を造り、命婦大神として御奉祀され、現在に至っている。
*1) この掛物は現在祐徳博物館にて所蔵。
【祐徳稲荷神社のホームページ:境内のご案内より】



祐徳稲荷神社の配置【現地の陶製の案内板より】


石段を登って命婦社へ行く


命婦社の鳥居


命婦社を上方より見る


命婦社の正面と左面

命婦社の正面
命婦社の素晴らしい彫刻を紹介する


命婦社の向拝


上より 鳳凰(軒先)・麒麟(上)・龍(下)の3つの彫刻を見る



麒麟(上)・龍(下)



麒麟(上)と龍(下)


龍の頭部


龍に見えるが、蹄があるのでこれは麒麟である


命婦社の左面
命婦社の素晴らしい彫刻を紹介する


命婦社の左面を見る


左面は上下ともに龍


左面の龍は吽形


左面の龍は吽形


命婦社の右面
命婦社の素晴らしい彫刻を紹介する


命婦社の右面を見る


右面は上下ともに龍


右面の龍は阿形


右面の龍は阿形

祐徳稲荷神社
所在地:佐賀県鹿島市古枝乙
電話:0954-62-2151


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