龍の謂れとかたち


謂れかたち

浅草寺 雷門の提灯の底の龍の彫刻

通常「浅草寺」と呼んでいるが、正式には「金龍山浅草寺」という

推古天皇36(628)年、隅田川に投網漁をしていた漁師の兄弟の網に一体の仏像がかかり
それを豪族の土師真中知(はじのまなかち)は、尊い観音像であることを知り
深く帰依して自宅を寺とし、その観音像を奉安し、礼拝供養に勤めた
これが浅草寺のはじまり
大化元(645)年、勝海上人がこの地に留まり観音堂を建立
武蔵国の観音信仰の中心地となる
平安期はじめ、慈覚大師の巡拝により伽藍の整備が行われ
以来、慈覚大師を中興開山と呼んでいる
鎌倉期以降になると将軍自ら帰依、観音霊場として知られるようになった

江戸時代、天海僧正の進言もあって、徳川幕府の祈願所と定められ
いわゆる江戸の信仰と文化の中心として庶民の間に親しまれ、以後の隆盛をみるようになった
【浅草寺のホームページよりより抜粋】

「浅草まち歩き」のために何回も浅草へ通った
提灯の底に龍の彫刻があるのに気が付かなかった

 
正面(07年8月13日の賑わい)


提灯(金龍山の山号が見える)


提灯の底部を見上げる(入り口より正面を見る)


提灯の底の全景


頭部と龍玉の拡大

浅草寺 提灯の底の龍の彫刻の3つの比較
070813
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