須賀神社 四谷須賀神社は江戸初期より四谷に鎮座する四谷十八か町の鎮守様
主祭神
須賀大神:須佐之男命(すさのおのみこと)
稲荷大神:宇迦能御魂神(うかのみたまのみこと)
寛永二十年、神田明神社内に祀ってあった日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を四谷に合祀し、御両社として祀る
今の須賀神社はもと稲荷神社
稲荷神社は、今の赤坂、一ツ木村の鎮守
清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移した
俗称四谷天王社と云い、明治維新まで親しまれて来た
明治元年に須賀神社と改称され
明治五年に郷社に昇格、戦後は制度の改正により、旧社格は撤廃された
文政11年12月に竣工した社殿は権現造りの建物
昭和20年5月の東京大空襲の折り、本殿並びに内陣と境内摂社を残した外一切の建物を失った
戦後、氏子崇拝者の赤誠(せきせい)に依って 今日の復興を見る
速素盞嗚尊
文武・政治・土地の守護開発・航海など、人々に資源を授けたまう大地の恵みの神様、お祓いの神様として
特に地鎮祭(地祭)、方災除け、厄除け、疫病除け、家屋敷のご守護に霊験あらたかとされている
社殿 正面
鳥居の神額
龍踊り(じゃおどり)
龍踊りは、中国の雨乞いの儀式から由来したと言われている
長崎に居留していた中国の人々が長崎の民衆に伝え、日本人独特の繊細な味わいが加えられて完成
龍が探し、追う金の玉は、太陽や月を表している
龍がこの玉を追うことで、地上には恵みの雨をもたらし、五穀豊穣、豊かな実りが叶うとされている
龍踊りが奉納される長崎くんちは国指定重要無形民俗文化財
長崎の氏神様である諏訪神社の秋の大祭として370年以上の伝統を誇っている
長崎くんちで最も長崎っ子を魅了し、心を離さない出し物の一つが龍踊り
玉使い
龍が追いかける玉を持つ
玉使いと龍衆は重労働であるため、交代用員が用意され、総交代を行いながら演技が披露される
龍衆
頭の担当者を龍頭衆(じゃがしらしゅう)、胴体の担当者を二番衆~九番衆、尾の担当者を龍尾衆と呼ぶ
【以下の写真は、
2016年6月4日に撮影したものです】
龍踊りが始まる前に拝殿の中に安置される
静かな佇まい
出を待つ龍の表情
観客に向かって居住まいを正す
龍踊り(じゃおどり)は龍が玉を追いかける「玉追い」が基本
玉使いが、龍が追いかける玉を持つ
社殿をバックににらみを利かす
龍の長さは12m
頭の担当者を龍頭衆(じゃがしらしゅう)という
胴体の担当者を二番衆〜九番衆という
尾の担当者を龍尾衆と呼ぶ
胴の下をくぐって再び「玉追い」の流れとなる
龍の頭
龍の爪
龍の尾
龍の目
龍に触りご利益をもらう
東龍倶楽部
須加神社(四谷)例大祭で龍踊りを奉納したのは東龍倶楽部のみなさん
長崎諏訪神社の秋の大祭「長崎くんち」で奉納される龍踊り(じゃおどり)を、東京で楽しむグループ
長崎くんちで龍踊り(じゃおどり)を見て育った関東在住の長崎出身者たち
2003年、ある記念イベントで龍踊りを経験したことがきっかけ
龍を動かしたその感動が忘れられず、
2004年に「東龍倶楽部」を発足
当初の部員は、長崎県立長崎東高等学校同窓生だけ
現在は、龍踊りが好きな他県出身の部員も活動している
練習
原則として第2週と第4週の土曜日または日曜日の月2回
練習日は、四谷の長崎産業支援センターに集合
保管してある龍と楽器をトラックに積み込んで練習会場(新宿区・コズミックスポーツセンター)に移動
自宅でのビデオ学習のほか、練習会場にて演舞のビデオチェックも行っている
長崎の伝統芸能に恥じない演舞ができるよう努めている
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