謂れとかたち
横山大観 新たなる伝説へ 国立新美術館

横山大観(明治元年−昭和33年)は水戸藩士の子として水戸に生まれた
明治、大正、昭和と、画壇の第一人者として活躍した、近代日本画の巨匠
岡倉天心らとともに日本美術院の設立に尽力
 大観は菱田春草と共に当時は不評を買った「朦朧体(もうろうたい)」の画法を試みる
 大観は菱田春草と共に海外に渡り、コルカタ、ニューヨーク、ボストンで相次いで展覧会を開く
その後ヨーロッパに渡り、ロンドン、ベルリン、パリでも展覧会を開き、ここでも高い評価を受ける
 横山大観たちは岡倉天心に呼応しては茨城県五浦に住む
ここで研鑚を積み、1914年(大正3)日本美術院を再興する
 以後、大観は日本画壇の重鎮として確固たる地位を築く
1935年には帝国美術院会員となる
1937年にはこの年に制定された第一回文化勲章の受章者となった
たくさんの作品を残し、1957年(昭和33)に89歳で死去

2007年と2008年の初めには偶然2つの美術館で横山大観展が開催される
東京国立近代美術館:横山大観 生々流転 2007年1月2日〜3月4日
新国立美術館:没後50年 横山大観―新たなる伝説へ 2008年1月23日〜3月3日


国立新美術館の前庭に掲示されている看板

或る日の太平洋
1952年(昭和27年)第37回院展に出品された。大観85歳の作品
前景の大きく躍り上がって激突する怒涛に龍が昇る
中景のうねりうずまく波濤は大和絵的手法から派生したもの
大観は、野間清六に「涛の奔放な線が面白く、シュールリアリリスムのようだ」と評されて喜んだ
本画のための16点の下図が残されている
東京国立近代美術館所蔵
サイズ:136.7cm×69.8cm
【細野正信 作品解説より】
現代日本美術全集2 横山大観  1971年8月 集英社

国立新美術館では、《或る日の太平洋》は一番最後に展示されている


横山 大観 或る日の太平洋 1952年
【館内に掲示されているポスターより】

横山 大観 或る日の太平洋  部分

龍の拡大
【同左】
横山大観記念館
大観がなくなるまで住んだ東京上野の池之端の邸宅は横山大観記念館として保存・公開されている
大観がこの地に住みはじめたのは、1909年(明治42)のこと
大観はここから歩いて東京美術学校へ通ったという
静子夫人没後の1976年(昭和51)9月遺族から寄贈をうけて、財団法人横山大観記念館が設立される
大観の作品、習作、スケッチ帖、絵付けの陶磁器、デザインした着物などが展示されている
大観と交流のあった近代作家の絵画、彫刻、書簡、大観が収集した陶磁器、竹工芸品、骨董なども所蔵している


横山大観記念館の正面

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