龍の謂れとかたち
柴又帝釈天:帝釈堂の扁額の龍の彫刻
柴又帝釈天
柴又帝釈天は、正式には経栄山題経寺と号する
旧本山は大本山中山法華経寺
寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院
18世紀末、9世住職の日敬の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり
「柴又帝釈天」として知られるようになった
柴又七福神のうちの毘沙門天にあたるが
帝釈天の脇に安置される多聞天(別名毘沙門天)を指すと解される
帝釈堂
二天門を入った境内の正面に位置する
手前の拝殿と奥の内殿(御宝前)から成り、内殿には帝釈天の板本尊を安置している
拝殿と内殿ともに入母屋造瓦葺、拝殿の屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付す
内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成
宗祖日蓮が自ら刻んだという伝承のある板本尊が納められている
扁額
扁額には金文字で 「喜見城」と書かれている
喜見城とは、世界の中心にそびえ立つ高山である須弥山の頂上にある帝釈天の居城のこと
柴又帝釈天の帝釈堂で喜見城を現世で拝礼することになります
帝釈天
「天部(インド出身の神様の集まり)」の中で一番強い神様のこと
もともとは、インドラ という名のインドの戦いの神様であり
あらゆる魔物を華麗に倒すことから「神々の王」と呼ばれていた
武勇伝の中で、阿修羅とのすさまじい戦いの上勝利した逸話が有名
仏教に取り入れられてからは「梵天(宇宙を想創造した神様)」とペアを組み
仏教を守護する役割を担うようになった
須弥山と呼ばれる神々の住む山の頂上に住み
四天王をはじめとする多くの家来を従えている
扁額の龍の彫刻
扁額の左辺は昇り龍、右辺は降り龍と明らか
上辺と下辺もそれぞれ降り龍と昇り龍の様に見える
帝釈堂 正面
帝釈堂の扁額
上辺
上辺中央部
下辺
下辺中央部
左辺 昇り龍 |
右辺 降り龍龍 |
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柴又帝釈天
住所:東京都葛飾区柴又七丁目10番3号
230905/231014
帝釈堂の向拝の龍の彫刻
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