謂れとかたち
柴又帝釈天の内殿の装飾彫刻:龍女成仏の図
柴又帝釈天
柴又帝釈天は、正式には経栄山題経寺と号する
旧本山は大本山中山法華経寺
寛永6年(1629)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院
18世紀末、9世住職の日敬の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり
「柴又帝釈天」として知られるようになった
柴又七福神のうちの毘沙門天にあたるが
帝釈天の脇に安置される多聞天(別名毘沙門天)を指すと解される


帝釈堂

彫刻ギャラリー
帝釈堂は手前の拝殿と奥の内殿(御宝前)から成る
内殿の外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻が施されている
胴羽目板の「法華経説話」の浮き彫り10面が著名である
これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもの
大正11年(1922)から昭和9年(1934)にかけて
加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作した
この羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され
高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表している
【2023年8月と9月に撮影】


内殿の彫刻ギャラリーはガラスでおおわれている

龍女成仏の図
堤婆達多品第十二図
山本 一芳 作
「法華経」では、女性が成仏できることを説示(せつじ)します
今、龍王の娘で八歳になる知恵に優れた弁舌さわやかなこの娘は
多くの教えを理解し、不動の境地に達しました
波の上にあって、龍女が宝珠を仏に捧げています
【現地の説明より】


彫刻ギャラリー  東側 


龍女成仏の図がある面(全)


龍女成仏の図


龍女が宝珠を仏に捧げている

柴又帝釈天
住所:東京都葛飾区柴又七丁目10番3号
231022

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