誕生寺
誕生寺は日蓮宗の大本山。山号は小湊山
日蓮の誕生を記念して出身地に建立された
1276年(建治2年)10月、日蓮の弟子の日家上人が日蓮の生家跡に高光山日蓮誕生寺として建立
1498年(明応7年)の明応地震、1703年(元禄16年)の元禄地震
2つの大地震と津波により現在地に移転された
26代日孝が水戸光圀の外護を得て七堂伽藍を再興し、小湊山誕生寺と改称した
1758年(宝暦8年)に、仁王門を残して焼失
49代日闡上人が、弘化3年(1846)現在の祖師堂を再建し、当時関東随一と称された
日蓮聖人
貞応元年(1222)2月16日、小湊片海の地に降誕した
その時、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」
時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ケ渕」
海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」
という不思議な「三奇瑞」が伝えられている
聖人は幼名を善日麿といい12歳までこの地で暮らした
現在、日蓮の生家跡伝承地は沖合いの海中にある
総門
総門から仁王門へのアプローチ
仁王門 1758年(宝暦8年)の火災で唯一焼失を免れた
誕生寺 祖師堂 正面
向拝と懸魚
唐破風と向拝の龍の彫刻
祖師堂の唐破風の懸魚(げぎょ)
「懸魚」は神社仏閣の破風(はふ:切妻屋根の妻側の三角形の部分)に取り付けられる
「懸魚」は「掛魚」ともかかれ、「けんぎょ」と呼ばれることもある
魚を吊るしたような形に似ていたことからこの名がついた
建物の一番の敵は火災、名前に「魚」がつくことから「防火」を願って昔からつけられていた
唐破風の先端の破風の拝みの部分《兎の毛通》のところに龍の彫刻を多く見る
唐破風などにつけられた懸魚は、懸魚の範疇を越えて華美な彫刻になっている
懸魚の龍の彫刻
龍の頭部
向拝と懸魚
懸魚の龍の彫刻
龍の頭部