鶴谷八幡宮の由来
鶴谷八幡宮(千葉県館山市)は平安朝の初期、凡そ一千年程前
安房国の総社として国府の地(現在南房総市府中)に創建された
三芳村府中に元八幡と称する小さな神社は、当社が府中にあった所の跡
源氏は八幡大神を氏神として崇敬したので、総社の祭神の中の八幡大神が特に崇敬されるようになり
総社が改変されて八幡宮となり、鎮座地も現在の処に移されたと伝えられている
永正5年に里見家第三代領主義通が社殿を再建したのを始め
義豊、義尭、義弘、義頼、義康等が代々社殿を修理奉納している
徳川幕府も里見氏のあとをうけ、同じく171石の社領を寄進している。
明治維新になり、明治6年に郷社に列せられ、後昭和15年に県社に昇格した
現在の本殿は享保5年に造営されたもので、館山市の文化財に指定されている
幣殿拝殿は大正12年の震災に倒潰し昭和7年に復興された
建物の構造及び大きさ等は凡そもとの通りであり、彫刻等は古いものをそのまま用いている
特に向拝の天井の竜の彫刻は房州の名工後藤義光の作で館山市の文化財に指定されている
【鶴谷八幡宮のホームページより要約】
鶴谷八幡宮
拝殿 正面
百態の龍
百態の龍は、鶴谷八幡宮の拝殿の向拝の格天井にはめこまれた彫刻
中央の鏡天井の龍を中心に周囲54態の様々な龍の姿が組み込まれている
幕末から明治にかけての安房を代表する木彫師・後藤利兵衛義光(南房総市千倉町出身)の作品
文久年間の八幡宮拝殿修復の際、多くの人々の寄付により奉納された
完成は慶応2年(1866)
昭和49年(1974)2月21日に館山市の有形文化財に指定された
向拝の格子天井をみる 正面
向拝の格子天井をみる 右より
向拝の格子天井をみる 左前方より
向拝の格子天井をみる 右前方より
向拝の格子天井の百態の龍 54態の様々な龍の姿が組み込まれている
中央の鏡天井の龍