今年は辰年。ヨーロッパの竜(ドラゴン)に興味を持ったのは、2006年にコンサートを聴きにヨーロッパへ行った時にはじまる。ベルリン滞在の最終日に、シャルロッテンブルグ宮殿を訪れた。途中、地下鉄の《リヒャルト・ワーグナー広場》駅で線路の向こうの壁に、ワーグナーにゆかりがあると思われるたくさんのレリーフが置かれ、その中に若者が竜(ドラゴン)に剣を刺している絵を見つけた。
この竜は何を意味するのか、帰国してから撮影した写真を眺めながら考え、ワーグナーが作曲した《ニーベルングの指環》に登場する《ジークフリート》ではないかと推測した。 昨年の後半から、改めてヨーロッパにおける《竜(ドラゴン)の系譜》を私なりに整理し、何冊かの本を調べているうちに、当時の推測が正しかったことを確認することができた。
ワーグナーの《ジークフリート》 《ジークフリート》は《シグルス》のドイツ名である。ワーグナーは神話や伝説など素材に、1848年から1874年にかけて《序夜と三夜のための舞台祝典劇》と題する楽劇《ニーベルングの指環》を完成した。《指環》は、上演するのに約15時間を要する長大な作品である。 神話の内容も膨大でストーリーも複雑である。今回紹介する物語は、『ドラゴン神話図鑑』(ジョナサン・エヴァンス著 浜名那奈訳 柊風社)を参考にした。 シグルスと竜(ドラゴン)の物語は、著者のジョナサン・エヴァンスが、ヴォルスンガ・サガによる散文の物語を下じきにし、13世紀ごろにまとめられた古アイスランド語の詩歌集『古エッダ』も参考に書いたものである。 ここに紹介する物語は、ワーグナーの《指環》では、第二日《ジークフリート》の第一幕《森の中の洞窟》と第二幕《森の奥》の部分に相当する、全体のなかのごく一部である。 シグルスと竜(ドラゴン)の物語 シグルスは、フーナランドの最も有力な王であるヴォルスングの息子のシグムンドとエリュミ王の王女ヒョルディーヌとの間に誕生する。シグルスはヒャ-ルプレイクの王宮で養育され、フレイズマルの息子のレギンという加治屋が養父となる。 シグルスの養父であるレギンにはファーヴニルとオトルという二人の兄がいる。殺された二男のオトルの代償に一家は財宝と《黄金の腕輪》を手に入れる。長男のファーヴニルは、この財宝欲しさに父のフレイズマルを殺害し、グニタヘイズにその財宝を積み上げて、黄金の寝床を作る。 ファーニヴニルは恐ろしく邪悪になり、獰猛なドラゴンに姿を変え、自分以外の誰をもその黄金に近づくのを許さなかった。 財産の相続権を失った養父のレギンは、ドラゴンを殺して宝をうばえ、とシグルスにけしかける。シグルスは信頼に足る剣が必要だと訴えたのに応じて、レギンは剣を鍛えるが満足なものができない。 シグルスは母親ヒョルディーヌのところへ行き、父の折れた名剣《グラム》を受け取ると鍛冶場に持ち帰る。レギンが白熱するまで熱し、火花を飛び散らせてふた打ちで剣を溶接し、これまでより力を込めて鍛え、名剣グラムがよみがえる。 シグルスはグラムを携えて数々の戦いにおもむき、剣の価値を証明し、莫大な財宝を手に入れて帰った。 レギンは「今度はファーヴニル(ドラゴンに姿を変えているレギンの兄)の首を落として俺との約束を果たせ」と耳打ちする。 シグルスは、ドラゴン(ファーヴニル)が棲むグニタヘイズへの道とドラゴンの通り道を教わり、ドラゴンの通り道に潜むための溝を掘る。長いひげを生やし、つば広の帽子をかぶった老人から、ドラゴンの血を流すためのもう一本の溝を掘るように勧められ、シグルスは教えられたとおりにする。 非常に大きく、獰猛で、あたり一面に蒸気と毒を吐き出しながらドラゴンが道を這い下りてくる。ドラゴンの腹が溝を横切って日差しが遮られた時、シグルスは真っ暗闇の中で剣(グラム)を突き上げ、素早く深々と突き刺して、柄を、手を、上腕を、そして肩口までを傷口に潜り込ませる。そうして剣を引き抜くと、シグルスは肩から剣の先までドラゴンの血にまみれていた。 ドラゴンは痛みにのたうち、苦しみながら頭と尾を激しく打ち振っていたが、やがてその動きも弱々しくなり、横たわってほとんど動かくなった。 レギンが現れ、ドラゴンの血を飲むと、シグルスにドラゴンの心臓を焼いて食わせろと命じる。シグルスは巨大な心臓を串刺しにして火に炙り、中まで焼けたかどうか確認するため心臓から泡立つ血を味見してみる。 ところが、指を口に入れた途端、近くの木に止まっていた小鳥たちが、レギンがシグルスを殺して財宝を奪うために来たことを囀っているのを聞き分ける。 シグルスはグラムを抜き、レギンの首を刎ねる。それから、ドラゴンの肉を食べ、ドラゴンのねぐらに行き、愛馬の鞍に黄金を詰め、新たな冒険へ旅立つ。 物語の展開 この後シグルスは、燃え盛る炎の中で眠るブリュンヒルデの目をさまさせ《神聖な結婚》をする。しかし、魔法にかけられて、ブリュンヒルデのことを忘れ、クズルーンと結婚する。そして、財宝目当ての彼女の兄弟たちに殺される《死》の段階へ物語は展開してゆく。 エピローグ 地下鉄のリヒャルト・ワーグナー広場駅には、2008年にも訪れてレリーフを見た。当初は推測だったレリーフの絵柄がジークフリートであると確認したのは、武器が短剣またはナイフであること、ドラゴンの左肩の真下に剣を刺すという約束事に則っていることが裏付けとなった。 DRACHEN BLUT(竜の血)という名の赤ワインを頂いた。ジークフリートが竜と闘った伝説の町ケーニヒスヴィンターのピーパー(Pieper)醸造所で作られたもの。 添えられた説明書には、ライン川沿いにあるこの町の後方には山がそびえ、その上には2つのお城があり、山の急斜面にワイン用のブドウ畑が造られていること、ジークフリートはこの町の山に住んでいた竜を退治しその返り血を浴びて、不死身の身体を手に入れた(ワーグナーの《指輪》でのジークフリート)という説明が書かれている。 赤ワイン《竜の血》はまだ味わっていない。これを飲むと、声なき声が聞こえ、不死身の体になると暗示されているのだが。 編集後記集 ヨーロッパの竜(ドラゴン)へ |