中国における龍の起源
【龍楽者の龍遍歴 901号 180511】

 中国の龍は、降雨、台風、洪水などの水を制御し自然と共生する象徴とされる。また、龍は古くから王権とのかかわりの深い神獣とみなされ、中国世界が統合され古代帝国となった秦の始皇帝やそれに続く漢王朝においても龍の文様は重視され、龍は常に皇帝の権力と強さの象徴だった。最後の統一王朝である清国(1862年~1912年)の国旗には青龍に似た意匠の龍が使われていた。
 今回の主題は、中国のおける龍の起源を知るために、時代をさかのぼって、新石器時代(紀元前10000-紀元前2000年)から夏・殷(商)・周(紀元前1050-紀元前771)の古代中国社会における龍の姿を追い求めた。


碧玉龍
 新石器時代
紅山文化(前3500~前3000年頃)
内蒙古翁牛特旗三星他拉出土
長さ26.5cm 最大幅26cm

龍形玉飾 新石器時代
薛家岡文化(前3500年頃) 
安徽省含山県凌家灘出土
長径4.4cm 厚0.2cm


紅陶罐  新石器時代末期~夏初期
斉家文化(前2400年頃から前1900年頃)


龍虎尊 殷 二里岡期(前16-14世紀) 
安徽省阜南県朱砦出土
高50.5cm口径45.0cm


貝を敷き詰めた龍と虎
【文物 1988年3月より 歴博の上野祥史氏の提供による】


亀甲  殷後記(前12世紀)
江南省安陽市殷墟出土

長さ18.3cm 幅11.5cm


龍の甲骨文字
旧石器時代から新石器時代へ
 中国大陸に温暖化がおとずれ、旧石器時代から新石器時代になっていったのが約1万年前のこと。山間の洞窟から平原への移住がはじまり、黄河と長江の流域で二大農耕地帯が形成され、原始社会が各地で特色ある文化を生み出した。

 玉器の「玉」とは中国では軟玉という特定の鉱物を指す。中国で最初のうちは美しい玉石を用いて簡単な装飾品が創られた。紀元前3000年頃、権力者が登場してくると、権力を維持するための儀礼に用いられる礼器として発達をとげた。「玉」の字には、材質を指す音読みの「ギョク」と丸い形の訓読みの「たま」の両義がある。

<碧玉龍>
 紅山文化では独特の造形を持つ玉器が存在していた。ここでは、亀や鳥などの動物とともに龍を象ったと思しき玉器が創られている。《碧玉龍》は墨緑色の軟玉製。現在発見されている中では最大最古とされている。

<龍形玉飾>
 新石器時代の薛家岡文化(へいかこうぶんか 前3500年頃)に、安徽省含山県凌家灘出土した玉飾。龍の体軀はC字形に丸くなり、口と尾がつながっている。やや稚拙な線で目、耳、角、背中の鱗文を刻んでいる。尾に近いところに小さな孔を両面からあけている。この龍形玉飾は、石家河文化に継承され、殷代の玉龍につながっている。手足はなくても角はあった。ただし、一角か二角かはっきりわからない。
 【合肥市、安徽省文物考古研究所蔵】

<龍文を浮き彫りにした紅陶罐>
 斉家文化(せいかぶんか)は中華人民共和国甘粛省の黄河上流域を中心に紀元前2400年頃から紀元前1900年頃にかけて存在した新石器時代末期から夏(青銅器時代)初期の文化。罐の浮き彫りによる文様は鱗体が龍に似ていて、体には一本の爪がある。この浮彫の龍文は西北地域で発見された中では最古の龍の像である。(図説中国文明史 1 先史より)

<龍虎尊>
 殷の時代、二里岡期(前16-前14世紀)の祭祀儀礼に使われた青銅容器。肩部の稜角には乗り出すような形で、龍の頭が三方につく。龍は瓶形の高く突出した角をもち、口を大きく開いて、上顎が前に張り出している。胴体は肩部に左側にうねって尾を丸め、上には菱形の鱗文様がある。尾の後ろには小型の舌出し虁龍文があるという。龍はこの時代になっても足はないが、角ははっきりと二角になっている。

墓に貝を敷き詰めた龍と虎
 河南省濮陽市の、西水坡遺跡(せいすいはいせき)では、紀元前4000年頃の墓に貝を敷き詰めて龍と虎らしき動物を表現していた。この遺跡からはは、崇拝対象としての龍の像が大量に出現する。考古界からは「中華第一龍」と称されている。

 仰韶文化圏のBC4000caという墓の埋葬に、死者の左右に貝殻を敷き詰めて竜と虎の形にしているものがある。

<副葬された龍・虎・鹿形の像>
 中国河南省濮陽市で発見された、西水坡遺跡(せいすいはいせき)の仰韶文化前期の貝による図像は、「原始道教の龍・虎・鹿と関係ある」、「伝説のせんぎょくの墓」、「シャーマンがある目的のために助手を連れて三蹺入地した宗教行為」などと言われる。「三蹺」は、龍・虎・鹿蹺に乗ってその力で空を飛ぶ術の意。(参照:西水坡遺跡の龍虎

龍の甲骨文字
 文字の発生については、遅くとも紀元前8000年前に土器の帰属先を識別するために用いられた「符号」が文字の先駆と位置付けられる。符号は陶器の口縁部に記され、刻されており、一つの器に一つの符号を基本とした。この種の符号が複数重なってより複雑な内容を伝達し始めた。これが文字の発生につながり、いくつかの文字の中より漢字が出現する。

 現在確認されている最古の漢字は、亀甲や獣骨に刻された甲骨文である。甲骨文字とは紀元前15世紀頃、殷文化においてに発生したと思われる象形文字の一群。それが今現在われわれの使っている漢字まで繋がっている。
 骨や甲羅などを焼いて(火にくべて)、そこにできるひび割れのパタンを記号化、この形を分類してその意を探る。図に示す亀甲には貞人(占った人)の名「賓」が見える。

 「リュウ」の字は本来の字形は「竜」。「龍」の字は繁文。繁文というのは後世に複雑に字形を組み、格調高くしたもの。
 竜という字は、紀元前17世紀ごろから11世紀にかけての商(しょう)王朝で用いられていた甲骨文(こうこつぶん)や、その次の王朝の周(しゅう)にかけてさかんに鋳造(ちゅうぞう)された青銅器の金文(きんぶん)にも見られる。

エピローグ
 今回は、新石器時代(前10000-前2000)から夏・商(殷)・周(前771)までの、古代中国社会における龍の姿を紹介した。これに続く春秋・戦国時代を経て、秦漢時代(前221-220年)になると、龍のみの表現から龍虎の組み合わせ、四神の組み合わせへと変化する。
 時代は下って、延祐(えんゆう)2年(1315)には、五爪二角の龍文が皇帝専用の文様として規定され、五本の爪をもち、頭に二本の角をはやした龍が権力のシンボルとなり、中国における龍の位置づけが定まった。この間1000年以上にわたる龍の変遷は、また別の機会に。【生部 圭助】

*参考としたもの
2012年の第81回歴博フォーラムでの、上野吉祥歴史氏の報告7『古代中国の龍』を大きい流れとしてとらえ、下記を参考とした。
『図説中国文明史 1 先史(創元社)』、『同 2 殷周(創元社)』
『世界美術大全集 第1巻 東洋編 先史・殷・周(小学館)』

龍の玉飾と西水坡遺跡の龍虎については下記をご覧ください。
龍の玉飾
西水坡遺跡の龍虎

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