謂れとかたち
八坂神社の本殿の向拝の龍の彫刻

八坂神社

全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社であると主張している
通称として祇園さんや八坂さんとも呼ばれる
祇園祭(祇園会)の胴元としても知られる
<創建>
社伝によれば、2つの説がある
①貞観18年(876)南都の僧・円如が当地にお堂を建立し
  同じ年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に降り立ったことにはじまる
②斉明天皇2年(656年)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主の創建
<歴史>
古くからある神社であるが、延喜式神名帳には記されていない
当初は興福寺、次いで延暦寺の支配を受けていたことから、
神社ではなく寺とみなされていたためと見られる
後の二十二社の一社にはなっており、神社としても見られていた
平安時代中期ごろから一帯の産土神として信仰されるようになり
朝廷からも篤い崇敬を受けた
<祇園祭>
祇園祭は、貞観11年(869年)に各地で疫病が流行した際に神泉苑で行われた御霊会を起源とする
元慶元年(877年)には当社で行われている
天禄元年(970年)ごろからは当社の祭礼として毎年行われるようになった
【撮影:2023/5/14 小雨模様】


石鳥居 1666年に再建されたもの


南楼門 現在の南楼門は、慶応2年に火災にあった門を明治12年に再建したもの

本殿

本殿は祭神(神霊・神体)を祀る建物
本殿は神殿とも言われ、古くは正殿・宝殿とも言われていた
本殿は江戸時代前期の1646年(正保3年)に焼失

1654年(承応3年)に江戸幕府第4代将軍・徳川家綱が再建した
一般的に本殿と拝殿は別々に建築されるが、大屋根で本殿と拝殿を覆った独特の祇園造・八坂造
祇園造は入母屋造りの母屋の前方に向拝を設け
更に側面および背面の三方に庇部分を設けた建築様式
様式は平安時代に成立。南北朝時代には現在の本殿とほぼ同じ構造だった
幾度と再建されるも形を変えずに、平安時代の建築様式のまま、現在まで受け継がれている
最も仏寺建築に近い神社建築様式

八坂神社本殿は檜皮葺(ひわだぶき)の入母屋造

(檜皮葺は屋根葺手法の一形式。檜皮葺では檜の樹皮を用いて屋根を葺く)
 屋根は高さ15m、広さは400坪
八坂神社本殿は1911年(明治44年)4月17日に国の重要文化財
2020年(令和2年)12月23日に国宝に指定された

龍穴

本殿の真下には大地のエネルギーが集まる池がある
八坂神社は古くから京都の「東」を守護する「青龍」が宿る地といわれている
数あるパワースポットの中のひとつ
(現在、池は漆喰で固められていて、見ることはできない)


本殿 正面

本殿の向拝と木鼻の装飾
向拝には3つの蟇股がある
蟇股の左:寅(白虎)・中央:龍(青龍)・右:獅子
左右の向拝柱には獏の木鼻が取り付けられている



本殿 正面 
蟇股の左:寅(白虎)・中央:龍(青龍)・右:獅子
左右の木鼻は獏


蟇股(中央):龍(青龍)



龍(青龍)の頭部


蟇股(左):寅(白虎)


蟇股(右):獅子


左の木鼻:獏


右の木鼻:獏

八坂神社
住所:京都府京都市東山区祇園町北側625
電話:075-561-6155

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八坂神社の青龍の燈籠
八坂神社の狛犬の台座にある四神

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