謂れとかたち
第一次大極殿の十二支の壁画

第一次大極殿
大極殿正殿とは奈良時代の都、平城京の北側中央に位置した平城宮の中心にあった最大の宮殿
天皇の即位式、元日朝賀や海外の使節の謁見など、国の最も重要な儀式のために使われていた
西暦710年遷都の、約5年のちに竣工したと考えられている
<復原整備>
第一次大極殿を含む南北約320m、東西約180mの広大な区間が計画的に整備が進められている
大極殿を取り囲む「築地回廊」「東西楼」も、長期にわたり復原整備される
<第一次大極殿>
第一次大極殿は平城宮の中心施設であったとして
発掘調査と研究の結果を元に、9年の歳月をかけて2010年(平成22年)に復原された
基壇は凝灰石で化粧された二重の壇上積(だんじょうづみ)基壇
建物の平面は桁行7間(各柱間17尺)、梁間2間(各柱間18尺)の身舎(もや)
四周に出15尺の庇(ひさし)を廻す形式
(正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m)
建物は二重で、上重の屋根は入母屋造本瓦葺
柱間装置は、正面を全て解放、側面と背面を壁とし、階段位置に扉を設けている
二重本瓦葺の大規模、純木造建築物の架構
復原された建物には、天皇の玉座である高御座(たかみくら:大正天皇の高御座の実物大のイメージ模型)が置かれている
内部の小壁には四神や十二支の壁画が描かれている
撮影:2023/5/13 雨天


第一次大極殿の外観 奈良市のHPより(市の広報の担当者より掲載の承諾を得ています)


雨の日の第一次大極殿:南面


天皇の玉座である高御座  小壁に四神と十二支の画を見る


十二支の壁画
四方を巡る上部の小壁に四神と十二支の柔らかな色合いの壁画が描かれている
制作は日本画家上村淳之画伯
「一木一草に神仏宿る」という思想・思考に沿い
白壁の余白を生かし、リアリティーある空間を展開したという


上村 淳之(うえむら あつし)
1933年生まれ。芸術院会員。京都市立芸術大名誉教授
奈良市の自宅「唳禽(れいきん)荘」で、約260種、約1600羽の鳥たちと暮らす。
祖母(松園)と父・(松篁)の三代の作品を収蔵する松伯美術館の館長も務める

小壁への十二支の配置
小壁に四神と十二支の配置は下図のようになっている
建物の平面は桁行7間(各柱間17尺)、桁行2間(各柱間18尺)の身舎(もや)
建物としての柱間の数が決められてから、四神と十二支を当てはめると、こんなにうまく収まるとは思えない
四神と十二支の配置を前提に身舎の柱間の数を決めたのであろうか
(柱間の数の決め方についての資料には、現時点でお目にかかっていない)



十二支の辰
辰は南東のブロックにある
何ともかわいい辰


十二支の辰の配置 南東のブロック


十二支の辰


十二支の辰 拡大


小壁の十二支(全)


 子


































第一次大極殿
住所:奈良県奈良市佐紀町

230517
第一次大極殿の四神の壁画
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