龍の謂れとかたち
下仁田諏訪神社拝殿の龍の彫刻
諏訪神社
諏訪神社は下新田の中央銀座通りの突き当たりに位置する
もともとは八幡神社
諏訪大社を崇拝した武田氏の勢力がこの地域に進出した時に社名が変えられたと考えられる
創建は天保8年(1837)から弘化3年(1846)にかけて
戦国時代に甲斐の武田信玄の上州侵攻に伴い小幡(現・甘楽町)の国峰城主・小幡尾張守が信州諏訪の諏訪神社を勧請した
国峰城:群馬県甘楽郡小幡町(現・甘楽町)の国峰山にあった山城
城主は小幡氏。平安末期よりこの地(小幡)を領し小幡氏と称した
江戸時代に幕府より朱印地六石を寄せられ
享和二年には嵯峨御所より菊御紋附挑灯2張、絹幕2張のご寄付があった
江戸時代に諏訪神社の左隣に龍栖寺(りゅうせじ)(真言宗)が創立され住職が別当として管理してきた
明治4年に別当兼務制が廃止
明治41年3月14日下仁田町外の近隣6ヶ村内の村社、無格社、及びその末社など15の神々を更に合祀
遷霊式を行い、総鎮守となった、と記録されている
現在は、産業・交通安全・縁結びの神様としても崇められている
祭神
建御名方命(たけみなかたのかみ)
八坂刀賣命(やさかとめのみこと)
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
諏訪神社の建物
拝殿の外観は、入母屋造りで向拝部は唐はふ破風となっている
正面に千鳥破風がついている
前方に拝殿、その後方に凸型に突き出た幣殿がある
さらに奥に本殿がある
幣殿と本殿の床は切れているのに、屋根はつなげっている珍しい工夫がされている
諏訪神社 拝殿・幣殿 |
建設年 | 弘化三年(1936年) |
棟梁 | 矢崎房之進昭房 善司の次男(大隈流) | |
(注)神社内の説明の立札には、 棟梁は矢崎善次郎(善次)、その子の房之進と林之丞が手伝っている。 房之進は建築に優れ、林之丞は彫刻に優れていた、とある。 |
諏訪神社の彫刻
諏訪神社には、各所に多数の彫刻が付けられている
拝殿の壁面や虹梁は彫刻で埋められ、彫刻と建築が一体化されている
いずれもケヤキ・クスなどを使った白木の彫刻
麒麟・唐獅子・花鳥(牡丹・桜・松・孔雀・桐・鳳凰・鷹など)
多数の白木の彫刻で飾った社寺建築は、江戸後期から明治前期にかけて全国的に流行
諏訪神社の彫刻は関東地方での幕末期の作風の特徴をよく示している
拝殿の向拝の柱の上部に取り付けられた2頭の大柄な龍
柱と梁の両方にまきつく大規模な龍の彫刻は例が少ない
【以下の写真の提供は飯塚 渉氏】
諏訪神社
拝殿正面
正面向拝の虹梁上の龍
正面向拝の虹梁上の龍
正面向拝の虹梁上の2頭の龍
向拝柱左側の龍
向拝柱右側の龍
諏訪神社
住所:群馬県甘楽郡下仁田町下仁田319
社務所電話:0274-82-4401
120521
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