龍の謂れとかたち
柴又帝釈天の手水舎の木鼻の龍の彫刻
柴又帝釈天
柴又帝釈天は、正式には経栄山題経寺と号する
旧本山は大本山中山法華経寺
寛永6年(1629)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院
18世紀末、9世住職の日敬の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり
「柴又帝釈天」として知られるようになった
柴又七福神のうちの毘沙門天にあたるが
帝釈天の脇に安置される多聞天(別名毘沙門天)を指すと解される
手水舎 背面に帝釈堂の拝殿を見る
手水舎の木鼻(龍鼻)
木鼻とは木の先端という意味の《木端(きばな)》が転じて《木鼻》に書き換えられたもの
木鼻の取り付けられた場所で一番多いのは、
向拝正面の水引虹梁の頭貫(かしらぬき)の先端が向拝柱の左右より出ている部分
虹梁が向拝柱を頭貫し前方へ飛び出したところ
室町時代になると、彫刻美を誇るようになり
別木に彫刻した木鼻を柱にとり付けるようになり、《掛鼻》と称されるようになる
《大仏様木鼻》には象鼻・獅子鼻・獏鼻・龍頭などがあり
《禅宗様木鼻》には渦紋・雲形花や葉をかたどった植物鼻などがある
手水舎 西面
北側
南側
北側の左 Instagram用
柴又帝釈天
住所:東京都葛飾区柴又七丁目10番3号
231113
松戸神社の手水舎
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